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2011/05/28

 

 半年も書いていなかったんですね…もっとも、前に書いているように関心の方向が変わったこと、また最近ネット社会の怖ろしさを感じること ― 別にかつて悩まされたヘンなメールがくるとかではなく、セキュリティの押し売りにあう事件 ― もあって、このサイトのかたを何とかつけなくちゃなあと思っているのですが。ただ、これも書いたように湿潤療法のページにはアクセスが非常に多く、どうかたづけるかに迷ってもいます。

 そういう状況下で敢えて編集のページを開く気になったのは、3.11.の福島原発とその後に関わっています。このことを考えるとき、つねに私の念頭にあったのは、湿潤療法を試す動機になった我が放射線障害でした。

 今回の地震と津波について、直後に地震学あるいは周辺関連学研究者たちの声はすぐさま全国紙に挙がりました。「地震学の敗北である」、「想定できないはずはなかった、にもかかわらず想定しなかったのは、もしこの規模の地震や津波が起きたら、社会政策上パニックになるという価値観に縛られたのではないかと自省する」、「神戸のときに感じた敗北の無力感を生かせなかった」 ― 近代科学の思考を基礎づけたひとりであるF.ベーコンは、人智による自然探究を「自然への強姦」であり、「女が強い男になびくように自然をなびかせる」と表現し、自然原理が解明できれば人智が自然をねじ伏せられるとむろん、肯定的に考えていました。いずれ地震や津波を征服できる、克服したい ― 人智としての「学」が今でもベーコン流の欲求に裏づけられてはいないか、という問いはさておき、上に記した学者たちの声は状況に対する率直な反省を表明していたと思います。

 原子力関係の学者たちからは、こうした声が上がらない ― 少なくとも全国紙で報道されない ― ということについて、当初から私は疑問を持っていました。「我々はまだ原子力を、放射線を制御する力を持たない。想定できないはずはなかった」という発言を、寡聞にして私は知りません。水素爆発を、ヘリによる放水を、注水作業を続ける原発社員50名を、さまざまな情報媒体で目にしながら、画面に紙面に呼び出される原子力関係学者たちの状況分析の歯切れの悪さが引っかかり続けた。おそらく図式はこうだろう、と推定していました。

地震・津波 自然力 ― 天災 ― 社会政策 ― 研究

原子力 人工力 ― 人災 ― 社会政策 ― 研究

研究補助金がつくのは地震学でも原子力でも同じでありましょうが、背景にある意味が多分に異なる。歯切れの悪さは、状況分析ができないのではなく、言えないのだ、と。

 そしてその後です。二転三転する政府発表、右往左往する東電、その状況の狭間にあって、放射能によるさまざまな被害はどうなるのかがクローズアップされてきました。「医療被曝と同程度なので安全です」あるいは「その基準値以下ですから」 ― さて、医療被曝もどの程度安全なのか?安全を主張できるほどの制御力が放射線医学にあるのか?あるいは放射線を用いるその他の医学・診療科 ― 用いない診療科があるんでしょうか ― は制御・治療の人智を有しているのか?

 私が、受けたがん治療でもっとも後悔を残しているのは放射線治療です。心情やそのとき持っていた知識の問題はすでに書いているので措きますが、素朴に問うても、なぜ照射量を決めるのが放射線科ではなく外科なのか?そういう判断経緯で治療する方式を採っていながら、早期障害についてしかほとんど問題にできないのはなぜなのか?晩期障害を起こしても外科でも皮膚科でもさっさとは治療ができなかったのはなぜか?晩期障害だとも診断されない。血眼になって見つけた夏井先生の湿潤療法サイトでも、その当時、放射線障害を直接扱っていらしたわけではありません。先生の書かれた湿潤療法の考え方を読み、自分の皮膚崩壊を素人の頭で懸命に照らし合わせ、R先生と湿潤療法体験記で書いている医師を探し出して、たまたま大当たりだっただけです。でもこれだけではない。がん治療に直面してからというもの、「おまかせ」ではいかんともしがたいことが大半で、私はもっぱら「素人の勘」にもとづく「素人の浅知恵」、俄か勉強を頼りに泳いでこなければなりませんでした。正直に個人的感情としては、私を診た最初の皮膚科医は、原発の放射能被害が出た患者さんを診ても「歯ブラシでこすんなさい」と言うのかな、と皮肉りたい思いがありますが、それはあくまで感情論ですし、なおかつ私は考えている、個人の力量の問題ではないだろう、と。

一口で「放射線」の「放射能の」と言ってもアルファだベータだガンマだのの線、物質的にはラジウムあり〜のストロンチウムあり〜のプルトニウムあり〜の、で、それこそ「自然界にも存在する」とか「プラスもマイナスもある」とか玄人さまはおっしゃるにちがいないのです。確かにそうです。

 けれども、原発をつくるだけの能力がありながら制御できない原子力研究 ― 検査にも治療にも放射線を用いる能力がありながらたかだか壊疽を起こした皮膚を即治療できない教育しかやっていない医学研究 ― このパラレルな相似に、人智の、原子力科学や医学にとどまらない「科学」の視野の限界をおもいみるのは、果たして間違いでしょうか。被曝 ― 野菜にせよ人間にせよ ― を含めて、問題の周辺には「基準」だの「標準」だのと言われる数値、数量、まさに数字が飛び交う。それは「標準とされている数の問題にすぎないのだ」ということを、どれほど痛感しているのかと私は問いたい。それは科学的見地に立っていると称する政策学などの類でも同じです。数として、量として、捉えなければならない側面があるとよくよくわかっていて言うのですが、そうして捉えるときにはつねに何かを切り捨てているのだ、「標準」を、「基準」を示すとき、そこに還元して捉えなかった何かがあるのだ、出した数がすべてではない、ということを忘れてはならないのではないでしょうか。

 例えば、がん治療でも確率がよく使われます。しかし、助かる見込みが80%というのは、100人いたら80人助かるという程度のことに「すぎない」。ひとりの人間にあって80%の生存と20%の死が並存し続けるなどということはありえない。生きるか死ぬか、all or nothingです。基本+ブーストを受けて晩期障害を起こす人間は、調べたことはありませんが、おそらくそう高い確率ではないはずです。高い確率なら、医師はもっと気にするでしょう。ただ、私は起こしました。そこには、まさしく私という人間に賦与されていた個体差 ― 抗ホルモン治療その他にも見るように、薬剤に対しても比較的過敏な反応を起こしやすく、放射線にも弱い皮膚の持ち主である ― があったにちがいないのです。加えて、どんなに低い結果パーセンテージであれ、私にとっては「出ちゃった」しかないのです。

 これが、私の肉体ひとつなどとは比べ物にならない巨大な規模で、はるかに多くのもの、土壌に、水に、そこに根ざした植物に、動物に、人間に、生態系に生じうるであろう ― それが福島原発に向ける私の視線です。

 科学を過信するな ― 今日読んだ新書でもまたも医療を、医療者を過信するな、と書いてありましたが ― 何か事が起こった後で過信するなと言う前に、事が起こらないうちに過信させない用心が要る。その用心のための知恵を育むのこそ教育のはずだが、と思うと、これまた暗澹たる気持ちになるのですが。

 

2010/12/19

 

 トリエステの坂道 ― 須賀敦子が描いたこの古い道は、精神医療が病院から降りる新たな開拓の道でもありました。現在、イタリアには基本的に精神科病院がありません。地域で患者をフォローしていく仕組みができているのです。しばらく前にこれを知ったときは、心底おどろきました。いつか自分が書いた理想 ― 病院には誕生から死までがある、そして「生まれてから死ぬまでの間、そこに人の生きる場所があるなら、それはこんな風に、街中を離れた建物の中に囲い込まれてあるものだと思う?私は違うと思う ― 理想の病院、病院の理想はね、病院なんてないことじゃないの?病気がなくなるって意味じゃなくてよ ― 病を診る場所が、人の生きる場所のなかにあることじゃないの?」 ― が、精神医療において実現されている国があるということにです。その出発点となった街がトリエステだったと読んだ瞬間、私の頭にはすぐに『トリエステの坂道』が浮かんだのでした。

 イタリアの精神医療、それからアメリカから始まったというACTAssertive Community Treatment、地域包括型の医療援助システム)など、調べ始めたばかりなのですが、ああ、無知は怖ろしい、けれどもまた、無知であったことを知るのはありがたい、と思うことしきりです。1980年代といえば、私はもう大学に入ろうとしていました。華やかにして空虚なりしバブルの時代です。鬱病、躁鬱病、統合失調症 ― まだ分裂と言われていました ― その他について、身近な人たちを通して、すでにふつうの人よりは経験も知識もあったと思います。振り返ると、当時も今も、たとえ白眼視されがちな精神医療であっても、医療の「現場」であるからこそ病院はもっとまともなのだと考えていたのです。バカと言えばおバカです。がんを経た身で「病院」がいかなる現場であるかは、よくわかっていたはずなのに。花形の外科でさえそうだったのに、まして精神科で何が起ころうかは推して知るべしではなかったか。

 ― 人間は普遍を想いながら経験を離れることはできないのだと、常日頃講じている言葉が翻って我が身を打つ。痛いけれども、快感でもある。このところずっと、新たな自分の課題 ― それは敢えてかえりみなくなっていた古いものもあり、上記のような新しいものもあり、それらをどんな筋を結んでいけるかということなのですが ― を問い続けているのですが、なんとなく勇気が出ます。私は今ゆっくりと、我がトリエステの坂道を辿っているところなのかもしれないと。

 

 そんなふうなので、正直なところ、最近サイトに関心がなくなってしまっています。これをつくり始めたときと、自分自身かなりへだたってしまったと思うのです。医療に対する厳しい眼と関心は変わりませんが。新しくするとしても、どんなスタンスの採りようがあるかなあ、と。ただ一つ、「湿潤療法体験記」についてだけは、我ながらビックリするアクセス数で、明確な責任を感じているので、これは何とかしないといけません。

 

2010/09/08

 

 今日は、さまざまに錯綜する状況と感情のなかで、率直に無念の怒りをぶつけます。

 組織人として、今ここで失えない、絶対に失ってはならなかった、そういうひとを失いました。或る意味では、いつ何があってもおかしくない年齢ではありましたが、それ以上に、覚悟はしていました。厳しい情報管制下にあっても、私も罹患経験以来多少なりとも身につけた知識を通して、推測できることはある。どう考えても抗がん剤治療にちがいない。とすれば ― いつまでもつのだろうか。果してもつのだろうか。抗がん剤に耐えうる年齢だろうか。

 亡くなってしまわれた以上、詮無いことではありますが、最後を聞いて私は悔しくてたまらない。続けられていたのは肺がん治療です。ご本人に聞いた治療方法から推して、そうだろうと思っていた。ところが死後、病理解剖してみたら膵臓がんだったというのです。膵臓がんは確かにわかりにくいという。手の打ちようがなくなってからでなければ見つからないケースのほうが多い。しかし、いいですか、病理解剖してみたら、なのです。ご本人も、ひどくつらい治療だと洩らしていました。肺がんでなく膵臓がんだったなら、たとえ肺に転移巣があったとしても、肺を狙った抗がん剤が老いの命を縮めなかったと誰が言えるだろうか。

 私が無念の怒りを覚えるのは、こういう話が一度や二度ではないからです。以前に書いたかもしれませんが、前立腺がんを患っていた知人が、腰痛と胃の詰まりを訴え続けていた。対する泌尿器科の担当医は湿布を出して「気のせいだ」とこれも言い続けた。知人は自宅療養中に激しい嘔吐で病院に担ぎ込まれました。たまたま対応に出た外科医が、胃を抑えただけで ― しつこくもまた同じ表現を使います、いいですか、胃を抑えただけで ― 顔色を失い、担当医に詰め寄ったといいます。「どうしてこんなになるまで気がつかなかった!どうして放っておいた!」と。

 何が、生かしておく気なら生かしておける、でしょうか。何が、がん撲滅キャンペーンでしょうか。何が、がん検診でしょうか。再発も、転移も、あるとわかっていて、前立腺しか見ていない、胃しか見ていない、肺しか見ていないとすれば、何のための「がん理論」なのでしょうか。

 私は、医学の無力を詰るつもりはありません。医学が万能でないのも、医療が万全でないのもよくわかる。万能で万全な医学の日なんか絶対に来ないのです、できるのはそれをめざす努力だけ、わかりきったことではありませんか。旗振りをする無責任な輩の下で、菌自体のせいではなく組織のせいで院内感染を防げないがごとくに、そんな生易しいものではないと自らの無力を痛感している心ある現場の人々の苦渋も、同じような状況にある或る現場の人間として想像できます。

 なればこそ、だからこそ、私は怒るのです。すべて治せもしないくせに、治す必要があるかどうかも判断がつかないくせに、見つけ出そうとばかり声をあげる無責任な輩に対して。旗振りをする輩に対して。臓物ひとつしか見ない輩に対して。医学の無力、非万能性に対して謙虚でない「専門家」たちに対して。学生や保護者や「世間さま」なる実体不明の存在や、教育崩壊を非難するマスコミや産業界に対してよりもまず、同じ業界内に対して激しい怒りを覚えるのと同じように。

 

2010/08/08

 

 今日はこんなこと2ツ。

 肩こり頭痛腰痛対策として、押入れからエクササイズのボールを発掘。数年前、流行りましたね、腰かけて使う大きなボールです。ダイエットだのなんだの、すぐさまブツが流行っちゃ消える、このボールは置いておくには邪魔ですし、やるたびにポンプで膨らますのも面倒ですから、立ち消えるのも理の当然だった気がします。私の場合これはリンパ郭清のリハビリ用、しばらく乳がん患者向けお教室に通っていたので、家でもやれるようにと買ったのです。

 どういうエクササイズがあったっけなあ…とお尻をのっけてバウンドしているうちに、だんだん思い出した。で、おいっちに、おイッチニ、とやる脳裏に甦ったのが教えてくださったT先生。…あとで知ったのですがお亡くなりになりました。ご自身が乳がん経験者でした。最後の死因もがんだったようです。お教室の雰囲気は正直あまりなじめなくて、多忙になったのも手伝って足が遠のいたのですが、T先生は好きでした。小柄だけれど鞠のようにはずむのびやかな動きで、目の大きな、笑顔のきれいな方でした。ほんのわずかの人生の交差ですが、ボールに添って気持ちよく伸びる筋肉を感じながら、思い浮かぶ先生の笑顔に「患者さんへの先生の思いがこんなところに、少しですけど残っています…」と言いたくなったものです。

 もうひとつは、流行つながり、がん由来のつながり、と言いましょうか。萩原流行・まゆ美『Wうつ』(廣済堂出版)。夫婦でうつになってしまった俳優萩原流行夫妻の本ですが、すばらしかった。ヒネクレ者ですので、支えあう夫婦の姿に感動しただのなんだのとは申しません。これはどうあっても、ふたり揃ってうつにならなければ生まれなかった相互理解です。それだけに、うつに陥ったひとの状態、心のありかたが非常によく描けている。みごとな本です。斉藤茂太はじめ医師の書いたうつの本は何冊も読みましたし、患者家族の経験談も多々目にしてきていますが、この一冊の前にすべてが色あせる。特に正直に医師の書くものはしばしば「それができたら苦しんでやしねーわよ!」と言いたくなる。

 いいなあ、と思ったのは、夫妻揃って、さらりとうつに対する偏見をはらいのける言葉をいくつも書いているところ。「うつ」と言っても原因や症状は千差万別であること、必ずしも当人が弱かったり性格的に問題があったりするからなるのではないこと、対処も決して一様ではないこと、何年もかかってつきあっていくこともある病気だということ。一般化した分だけ、この辺りの誤解がいかに根深いか、自分のみならずうつになってしまった学生や周囲の人々と向き合うなかで、私は痛感してきました。

 他方、ちょっぴりうらやましかったのは、やはり患者同士だから凌げたのだという点です。なかなか何年も待てないのです。早ければ数ヶ月、遅くても一年程度で、「いつまでグズグズしてるんだろう!」、「いじましくてうっとうしい!」と周囲は苛立ち始め、何らかの形でムチを入れ始めるのがふつうです。無理もありませんが、これがつらいのです。最悪の期間には、もし写真を撮っていたとすると、あとで本人もギョッとして二度と見たくなくなるような凄まじい面変わりをするほどなのです。これも後知恵になるのですが、周囲は「よかれ」で悪意はないとわかっていても、ムチを入れられると本人はズタズタになります。まゆ美さんが、流行さんから受けた「ズタズタ」について率直に書いていますが、それが今でも棘となって心の底にある、との一文には涙が出ました。私にもそういう棘がいくつかあるからです。

 俳優・役者夫妻の一時の告白本としてではなく、この本はぜひ残ってほしい一冊です。

 

2010/07/20

 

 1ヶ月も放置したとは思いませんでした。それほど自らに拘泥していると言えばそうなのですが。この間に例によって精神分析や心理学系、あとトラウマについての研究を読み、逡巡しつつも明晰な宮地の分析に相変わらず惹かれたりしながら、ナラティヴの理論について考え直したりしていたのです。講義でも扱っていますので、論じる間に間に改めてその隘路や限界に思い巡らせてもいたのでした。またクライエントが思い切って間口を広げれば、カウンセラーもそれに応じて自らを開けるのだ、という相互関係性の力動をカウンセリングに見出せるようになってきたのも興味深いことです。

 しかし、最終的に私を捉えて離さない問いは

「なぜ語らなければならない、語りとして現れるように聞かなければならないのだ!」

ということなのです。この点については、以前Over-the-counterでも書いていますが。語られなければ聞こえない、知りえない、確かにそうです。またクラインマンだったか、フランクだったか、傷を負った者がそれでも語ることこそ倫理的だというのも首肯できます。

 同時に、やや揶揄したくなるのですが、みんな好きですね ― 「忘却の穴」(H.アーレント)が。そして忘却の穴をそのまま忘却の穴にさせてはならないという熱烈な立志が。現代世界の呈する極限の事態に立ち会った経験があればあるほど、そうなるのもわかる気がします。極限の事態が日常の剥き出しに突出した形態なのだというのも、少なくとも理屈ではわかります。

 ただ、もし日常の延長に極限の事態が表出するのであるならば ― 凡庸な日常のなかで、誰の目にもとまらないけれど、確実に我が身にとっては凄絶な断裂の傷を負って生きている、と自覚せざるをえない者として思います。語りえないもの、いかにしても語りえないで陥る沈黙を抱え込むこと、その共感不可能性と理解不可能性をなぜ承認してはいけないのだ、と。

 むろん、かつては私自身が共感可能性と理解可能性を希求していたから、語りえないことを聞きたい、聞き得なかったことを語らせたい、という欲望は ― 敢えて「欲望」と言いますが ― 理解できるのです。そして、いかに日常にあって人がおのれを語りたがるものであるか ― 一時、自分が他人の語りの掃き溜めだと感じたほどに ― だからいかに逆転して語りえないことがあると知れば聞きだそう、耳を傾けようとするのが「良心」だと思うか ― そしてさらにそのゆえに、語りえないものを抱えて黙り込むしかない者をいかに楽々と見放すか ― 言葉を積めば積むほど、自分の闇から遠ざかるしかないのに ― 理解と共感から遠ざからないために、その闇を語らなければならないのか、聞きたがる耳に向かって ― 。そのとき、聞こうとする耳は、見ようとする目は、圧力に ― 暴力に反転する ― その耳に、その目に、応えられないおのれこそ脆弱なのだ、と押しつぶされそうになる ― その耳が、その目が、善意と正義の倫理で輝くものであればあるほどに。

 ― その苦渋から、私は出発したいと思います。何が聞こえるかわからないままに耳をすますことと、聞こうとして耳をそばだてることは違う。偶然にしか映らないかもしれないものを、いつでも受け入れる澄んだ眼を持とうとするのと、見えるものを逃すまいと血眼でいるのは違う。その受け身の透徹が、理解できないこと、共感できないことを、わからなさのままにわからせてくれるでしょう。理解できないということを、共感できないということを、語れるとすれば私は語りたい。それが私の「倫理」です。

 ― この夏、その「倫理」について考えていこうと思っています。結実をひとつ見られるなら論文にしよう、それが「業績」になる利益を否応なく刻印している非−倫理的な研究者の業を引き受けながら。

 

2010/06/27

 

 悪い癖だ、と自分でも思うのですが。すでに今週、森瑤子『叫ぶ私』(森のセラピー経験をそのまま書き起こしたもの)、マリ・カルディナル『血と言葉 被精神分析者の手記』を再三再四読み続けていたうえに、昨日今日でネット註文しておいた本がドッサリ。梅雨の雨音に浸され静かな水底にいるような自室でソファに埋もれてうつらうつらと夢の読書タイム…その実態は頭蓋のなかで脳がキリキリ爆発しそうに膨れ上がるのを感じながらの、『現代の精神分析 フロイトからフロイト以後』、『カウンセリングの技法』、『精神分析的人格理論の基礎』…エトセトラなのでした。同時に3冊から4冊を読むバカをやりつつ、フロイトからユングからクラインからラカンからロジャーズからスターンから、自我心理学、対象関係論、精神病理学、精神分析、ああああ、学派は数多、知識は膨大、用語は踊る、面白いけど、今は読む文章読む言葉が我が肉に脳にきりりと食い込むこのつらさ。傷に塩をすり込んで身悶えするような真似をどうしてやるかなあ?

 精神分析(治療的でないカウンセリング手法も含めて)はパチモンだとおっしゃる医師もいるのですが、私は俄か勉強ながら、言語分析・思考分析の理論として精神分析は「分析」理論としての有効性があり、興味深いと思います。ただ、その臨床適用に関してのセラピーやカウンセリングは、パチモン化する可能性(危険性?)を多分に含むだろうと改めて感じましたので、その留保つきでなら「精神分析パチモン説」に同意するかもしれません。何でもそうなのでしょうが、対人関係で構築される以上、理論の側から見た臨床現場におけるセラピスト、カウンセラーの活動は、そのパーソナリティ、経験、専門性にひたすら成否がかかるように思えるからです。フェミニストカウンセリングの第一人者、河野貴代美も書いています、「セラピストが開いている人間的、専門的幅と深さの中にしか、クライエントもまた自分を開けないわけだから、セラピストは絶えず自らの限界を自覚している必要がある」と。逆に言えば、クライエントが開くものしか、セラピストないしカウンセラーも映し返せないのかもしれません。クライエントのほうが絶えず自分のポジショニングを考えざるをえず、「場」の成立に手応えを持てなくなって「カウンセリング」あるいは「セラピー」とは何かを問わなければならない時点で、どちらが悪いわけでもなくカウンセリングないしセラピーは失敗に陥っているのかもしれません。今、ひとりの或るクライエントが知りたがっているのはそこなのですが…。

 ところで、マリ・カルディナルの『血と言葉』は、7年間、精神分析を受けたクライエント側の記録で、訳本は古書でしか入手できませんが、なかなか強烈な一冊です。一読、まず感じたのは、これはとりわけ五月革命以前のフランス社会でこそ成り立った本だということでした。自身がここまで自らを問い詰めていく執拗さ ― しかも7年間も! ― は、クライエントの個性でもあるかもしれませんが、デカルト流の論理技法を叩き込まれて育つフランス知識人、かつその強固な背景としてのブルジョア階級、言語が強固に支える個人主義なくしてはありえないものであり、なればこそ精神分析が際立って有効性を発揮したように思えます。しかし、それだけに、思考と言語、主体構築の要としての言語の問題が鮮烈に描き出されており、何度も読み返さずにはいられない印象を残します。

 そうして、水音が夜の底を静かに打つ今、私はこの数年来の医療についての思考が、螺旋階段をめぐりめぐってひとつ階を上がり、新しい踊り場で自分の積年の哲学的課題であったものに出会い直した気がしています。作家が処女作にすべてを著してしまうように、「哲学者はつねにただ一つのことだけを考えている」と言われるように、ああ、結局、ここにたどり着くのか、これが問題なのか ― という当然のような、しかし新しい発見に、乱れた頭の片隅で、かすかに穏やかな歓喜を覚える一夜です。

 

2010/06/18

 

 つまらないことなのですが。

 或る書店のネットで、或る本の或るレヴューをたまたま見たのです。その或るレヴューを書いているひとは、「伝」という文字の共通性だけで、この文字を用いる「直伝」と「伝記」と「伝書」という3つの言葉の意味をごっちゃにしているのでした。さらに付け加えて書いてしまうと、ごっちゃにしているんだけどその自覚がないようなのでした。

 ネットワールドを徘徊していると、ときに腰が抜けるほどびっくりすることがあります。本になるのと違って、誰もが(私もその一人でありますが)何でも書けるだけに、「どこをどう押したらこういう風に読めるのだ?!」と。ささやかながら自分がキヨホーヘンにさらされたときも、知らなかったところで当惑するほど褒めていただけていたりした一方で、単語しか見てもらえてないんじゃないかと唖然とするこき下ろしも直に頂戴したりして、ずいぶん考え込んでしまったものですが。最近はそういうものなんだな、とわかるようになりました。私などよりはるかに明晰でみごとな「これ以外読みようがないだろう!」という文章を書いておられる方たちが、やっぱり驚くほど右から左、上から下までのキヨホーヘンで、メタメタのほげほげ(これも愚かな表現だなあ)にされておられますから。

 「読む」も「書く」も、「語る」も「聴く」も、実にさまざまです。その「さまざま性」(敢えて多様性、とは書かない)こそ「言語」なのだと、そうだとするとまさに言語で表現されるものすべて ― 表現とは言語である、と言ってもいいのですが ― は、セオリーからナラティヴまで、「さまざま性」を超克することはできないのだと、超克不可能性こそ負わなければならない宿命なのだと、改めて考えます。そうです、その宿命から逃れうるいかなる表現もありえません。

 …ま、とはいえ、「直伝」と「伝記」と「伝書」がごっちゃになっちゃうのはちょっとね、宿命以前だと思いますけれどもね。

 

2010/06/08

 

宮地尚子『傷を愛せるか』(大月書店)。働かない頭でヒイヒイ言いながら、分厚いフロイトの『精神分析入門』を先頃読了し、やっぱりフロイトは偉大だなあ、としみじみ考えたところで、冒頭の本。

フロイトももともと「医師」として出発したひとで、彼も精神分析を「科学」にしようと考えていた、あるいは科学的方法によって精神分析を「学」にしなければならないと考えていたのは間違いないのですが、今はおそらく多々「古典」に過ぎなくなった点も多かろう彼の本で、私が偉大だと改めて感じたのは、各論ではなく、まさにその科学たらんとした精神追究の、しかし科学をもって精神に向かい合う姿勢の、おのずからなる謙虚さなのでした。

そして、精神科医・宮地尚子の本に感じたのも、これは上野千鶴子風に言えば理論を売るのではなく感情を売る(心象風景的エッセイで、学術書ではない)本ですけれど、目に見えないものを対象にしている職業を自覚した慎ましさなのでした。ついでに言うと、医師であり、大学の教師である自分の立場が、一般社会のなかでどのように見られるかということについても、きわめて自覚的です。これも稀なる見事さですが、筋を戻しましょう。

精神科も「精神=脳という物質およびその作用」としか考えない医師もおそらく少なくないはずで、そうなれば昨今問題視されるように、信じがたいほどむやみやたらな多剤併用で、軽度の患者を治療が原因の重症に至らしめることもあるでしょう。しかし、そういう医師は「私とは関係がありません」(笑)。物質としての「脳」ではなく、「精神」を標榜する以上、物質機能をこえる、あるいはそれで把握できる範囲をこえる何ものかを聴き、見つめざるをえない ― それが臨床を真摯に捉える精神科医なのではないかと思います。

思いみると、私が自ら患者として、または患者家族として出会ってきた精神科医の方たちは、みなそうでした。「病名はどうでもいいのです」と言われたS先生、P.B.C.C.で登場させていますが、「村井さん、理由がほしいですか?つらいならつらい、でいいじゃないですか」とおっしゃったのはI先生です。今はご無沙汰しているM先生は、私にカウンセリングを勧めませんでした。「人間、内側に抱え込んでいるのはきれいなものばかりじゃない。辛すぎて受け止めきれなかったら、かえってよくないこともある」と。カウンセリングを受けたいがために、カウンセラーを用意しているクリニックでO先生にかかるようになりましたが、受け始めてみるとM先生のおっしゃったことが、今さらのように身にしみて思い返されることがあります。そしてO先生は、常識的に理解可能な筋道だった言語化のできない病患に対してこそシンパシーを持たれるような医師です。

「精神科」なればこそ、なのだろうか?そうなのかもしれません。心は ― 精神は ― CTにもMRIにも写らない。メスで切り裂くこともできない。写るのは、切れるのは、あくまで物質化されたものにすぎません。その向こうに隠れている何ものか、またその向こうから立ち上がろうとする何ものかを聴き、見つめようとする ― そのように考えるなら、少なくともその姿勢は、私たちにも生きる上での手がかりを与えてくれるような気がします。

 

2010/05/30

 

 更新の停滞は、ひとつには気分の問題がありますが、もうひとつ、回線を変更したためにエライめに会いました。○TT×日本!懇切丁寧だったリモートサポーター木△さんに免じて怒鳴り込むのを我慢するが、おのれの商売は絶対に許さんぞ!特に、代理店にいくらキックバックしてるか知らないけれど、こんなアコギな商法させておくようなやり方をしているのはまちがいない!

 「通信が速くなります!」、「お安いです!」。同じプロバイダを継続利用できるというので変更契約してみれば、プロバイダとのゼロ契約からスタートさせられそうになる、継続利用契約にするんだと念押しすれば「12週間かかりま〜す」と言ったきり、なしのつぶて。それまではうるさいほど電話かかってきたのに。私がいったい、つまるところ誰からいろいろ教わったと思いますか?回線の設置に来てくれた工事のお兄ちゃんです。お兄ちゃんいわく、「代理店さんは、はっきり言って契約とったら終わり、で、代理店さん自体、仕組みがようわかってはらへんのですよ。○TT側にしたら、要は回線変更だけしか考えないし。だから村井さん、下手するとほっぽっとかれますから、ご自分でプロバイダさんに連絡したほうが早いですよ。で、機械はね、ここがこうで、あれがああで、ルーターがきたらこうして、無線LANにしはるんやったら、これ買って…」。うう、お兄ちゃんAさん、ありがとう。

 で、双方からの説明書が届いて突き合わせてみると、これまたプロバイダの説明書は一読即解なのに、○TT側の説明書ではよくわからない。ここに至ってリモートサポートに電話。ルーターにつなぐため一部回線の設定解除をする必要があるのですが、説明書添付のCDを使うか使わないかと訊かれるので、簡単なほうがいいと返事するや、或るサイトに誘導されて、一発解除。だったら、なんで説明書にそれを書いておかんのじゃ〜!!CDなんぞ要らんではないか!アホか!!

 ネットワールドにこのサイトが孤島化するのだけは嫌さに執念でがんばったけど、世の中み〜んなこうですね。「早期発見です!」、「治ります!」で、検査に放り込まれ、切られるときは外科だけど、なぜか放射線科は外科の言うままに照射して、皮膚炎起きたら皮膚科で、だけど代理店並みに信じ難い治療だから自分で探して皮膚科見つけて、外科投与の薬の副作用は精神科行かないといけないし、結局、わけわからんちんのうちに一つであるはずの自分の体が方々に分解されてて、何がどうだかわからなくなる。それが嫌さに執念でがんばって、ぜんぶを何とか我が頭ひとつに配線してつなぎとめて使ってるわけですよ。

しかし、神はいた。かくしてその執念の努力の果てに「医学は科学ではない」と明言する医師に初めてナマで拝謁する機会を得て、ああ、いたんだなあ、市井の臨床でこういう考え方をする医師がいるんだなあ、と感激無類の大落涙。

「だって、再現性もないし…結局、僕らなんかは、患者さんの感じてることそのまま聞いて、それが症状なんだと、そこから出発するしかないわけで…」

「あら先生」

 と○○不信の強い私は言ったものです。

「私が少なくとも直接知ってたり議論したお医者さんで、そんなこと言った人いらっしゃいませんよ。自分を『科学者』だと書いた人もいれば、科学のわからんトンチキが訴訟だなんだとすぐ騒ぐ、って患者こきおろしたり。だいたい、話聞いてもらうために、どれだけの労力払ったと思います?専門書ひっくり返して、ネット検索して、そっちの土俵に乗って医学用語を使って『わかって言ってるんです』って説得してはじめて、望むことやりたいこと知りたいこと、耳を傾けてもらえるんですよ?」

「…みんな、わかってるんじゃないかなあ。だけど、そう言ったら弱みさらすみたいに考えて、科学だって権威づけするっていうかなあ…うん」

 科学で権威づけ!こんな言葉をじかに聞ける日がくるとは!!すべて仕込んで一発連結可能なルーターボディとなるべくがんばってきてよかった!!…もっとも、そのルーターボディ、今やズタズタのボロボロなのですが…。

 

2010/05/07

 

 …1か月経ちました。近況報告するくらいの力しかないのですが。人間と、言語と、心身連関の問題に深い懐疑を持ちながら。たぶん、ここでは初めて書きますが、がん治療以来、精神系薬剤との縁が切れないまま、「尋常ではない業務状況」を乗り切るにもその助けを借りて ― というよりも、即効性に依存して、使うのに慣れて ― 過ごしてきたことに嫌気がさして、約半年前からカウンセリングに通っています。

 過渡期だな、と自分では分析しているのですが、気がついたのは凄まじい怒りと失望と不信とを、これまた凄まじい形でねじ伏せねじ込んできたということでした。それはたかが「尋常ではない業務」を数年間やり続けた結果などという生易しいものではなく、解消にそれまでの人生を賭けるような思いのする自制の果て ― と分析しています。地獄の釜の蓋が開いた、と言うべきか。ここを乗り越えたら何かが見えてくるのか、それとも地獄を負い続けるのか、それがこれからの問題でしょう。

 たとえば、このサイト関連で喩えるならば ― あくまで喩えているのであって、原因のひとつではあってもすべてではありません ― 更新がとまったままの湿潤療法体験(これ自体は緩やかながら順調な治癒です)も ― その傷がなぜできたのか、今さら過去を掘り返してもしかたがない ― R先生という的確な治療のできる医師に巡り合えた幸運を喜ぼう ― というのは理性の「意識」。がんが止められたのだから、穴が開こうが直径3センチ大の傷が残ろうが命があればそれでよかろうと片づけられるに決まっているのを、これも理性では承知のうえで、R先生に出会えたのは「結果」の幸運。必死でR先生を探さなかったら?今ある治療が治療なのだと信じ、素直と言えば聞こえはいいけれど、馬鹿正直に歯ブラシで壊死した皮膚をこすり続けていたら今頃どうなっていたのだ?ブドウ球菌でうじゃうじゃの、我が乳房内の空洞は?そもそも、そういう菌の繁殖しうる老廃物を溜め込むとも知らず、形だけは美しい胸に満足していた私が大ばか者なのか?「早期発見!」、「治ります!」を叫んでおきながら、老廃物が溜まってどうなるかも解明されておらず、その末路の可能性に予測が立たない、壊死して穴を広げる皮膚に手をこまねいているしかない程度の現代医学なのか?

 「こんな、もっともらしいこと言いますけどね…ほんとは、わかってないことのほうが多い、というよりも医学はほとんど何にもわかってないんですよね、結局は、解釈の問題でね…」

 R先生、O先生のように、そう言える医師たちに最後はたどり着いて素直な患者になれるだけ、それでも幸せなのだと思う、思うからこそたぶん、理性の「意識」のその裏で、合理を主張しながらあまりにも不合理な技の傲慢に、情動の「無意識」は燃え上がるのだろう、と思います。

 

2010/04/07

 

 ぐひ〜!ひさびさにアクセスカウントを見て思わず唸る。申し訳ありません。とりわけ湿潤療法関連ページのアクセスの伸びは、古くからあるこのDaysをペースとしてははるかに上回っており…。更新はない、アクセスは伸びる、放っておいて荒れ放題になるサイトではございませんが、いささかプレッシャーはないではありません。

 ご寛恕くださいますよう。実は仕事は一気に軽くなりました。業を煮やして管理職を辞したからです。それなりの土台を築いたという自負もあり、ここまでやった、あとは勝手に血反吐を吐いてくれ、という気持ちですが、同時にこれまでの反動か、心身ともに疲労がバクレツ。大学人の友人知人は声を揃えて、「村井さんの業務状況は尋常ではなかった」と言っております。率直に自分でもそう思います。そうなると、プライベートでパソコンなんぞ開けてるバヤイではなくなるもので、だから12人に1人の割合で鬱状態の人間が出る業界で暴走するほどネット開けてる方々というのは、よほどお丈夫か、余裕がまだあるほどのんきなのか、スーパーな脳ミソしてるのか、得意のヤクで脳ミソがハレーション起こしてるのか。

 それと、この青緑のページが、気に入らなくなってまいりました。つくりかえたいけど、つくりかえる労力を裂けないんですね、まだ。もう少ししたら、大改編をやりたいのですが。

 目下、読売新聞に連載で徳永進医師の記事が載っています。在宅終末医療の先駆者ですが、「臨床の海」という言葉、この言葉を使われる背景の考え方には、かつて自分が論文化した患医関係のヴァリエーションに通じるものがありました。

 城山三郎は太宰治を評価せず、「潔く生きられる人間ばかりじゃないんじゃないですか」と食い下がる佐高信に、「そういう人間は僕とは関係がありません」と言ったそうですが。…研究対象に対して、研究者もそういうスタンスがあっていいと強気になるこの頃。「真摯に取り組める○者ばかりじゃないんじゃないですか」。「何に対して『真摯』であるべきなのか自問しない○者は、私とは関係がありません」。…なんてね。

 

2010/02/10

 

「ねえ、病院には、生まれてから死ぬまでがあるよね」

 とある原稿で、私は「医師」である登場人物にこう言わせたことがあります。

「生まれてから死ぬまでの間、そこに人の生きる場所があるなら、それはこんな風に、街中を離れた建物の中に囲い込まれてあるものだと思う?私は違うと思う ― 理想の病院、病院の理想はね、病院なんてないことじゃないの?病気がなくなるって意味じゃなくてよ ― 病を診る場所が、人の生きる場所のなかにあることじゃないの?」

これが患者の立場であるとは思いませんが、少なくとも第三者の理想論を、「医師」に仮託して語らせたにすぎない ― とずっと考えていました。

最近、また或る医師の方とお話をする機会がありました。哲学・倫理学を専門としながら「いったい、人間って…!?」というシンコクな懐疑に陥っているこの頃、医学の領域で、日々人間は面白いと思って取り組んでおられるのかという興味も含めて、特に専門分野を選ばれた理由を伺ってみたのでした。

診療科を選択するまでの来歴から、病院というものについての考え方まで思いがけず詳しく聞かせていただけたのでしたが、ビックリしたのは他ならぬ「医師」の口から、書いた本人が半ば以上忘れかけていた上記のセリフを彷彿とさせる言葉が語られたことでした。「僕は過激なんです」とおっしゃっておられましたが、弱っている脳ミソでしかし深く考えさせられてしまったのでした。

病があるから治す場が必要だ ― 確かにそれはそうですが ― 囲い込むから「病」が生まれるのではないか ― つまり、病が世に現れるのではなく、世が病をつくりだすのではないか ― すべてがそこに還元できると一概に言い切っては粗雑になりますけれども、現代哲学が析出し光を当てた「医学」のありようについて ― 自分自身がこのサイトでも書いてきたがんの言説の生成にも ― 再び考え至らずにはいられない思いがしました。う〜む、それでも、これだけ書くだけでもいっぱいいっぱいの疲弊状態で…早いところ脳ミソを休めてリハビリし、問いを問う力を取り戻さねば…。

 

2010/01/22

 

「出勤相成らぬ」とのドクターストップがかかるほど、極度の自律神経失調状態に陥り、年末年始はとてもではありませんがパソコン開けているどころではありませんでした。…原因?ふん、職場に聞いてください。

しかし、ようやく復調の兆しにアクセス数を覗いてみてビックリしました。ご訪問くださっている皆さま、御礼とお詫びを申し上げます。御年賀の時期をはずしてしまいましたので、改めまして

寒中お見舞い申し上げます 

今後ともこのマニアックなジミ地味サイトよろしくお願い申し上げます

湿潤療法体験記が止まったままなのが、とりわけ申し訳なく思います。着実にアクセスを増やしているのがこのページだからです。生身の肉の焦げた匂いが胸元から立ち上るのを嗅ぎながら、話の通じない業務もしないできない考えられない連中相手に会議会議会議会議…の一年を経て、結局、ぶっ倒れたのだって、そのせいだよ。1ヵ月くらい休んで何が悪いよ。と慣れないゴーマニズムを自らに言い聞かせて、そう、放射線後遺症の胸ももう一年です。つい数日前にR先生の診察でしたが、それなりに順調。そのうち更新を再開したいと思います。治ってきただけ、ご報告できることも減ってきたのですが。

R先生もそうですし、「出勤相成らぬ」と言われたドクターもそうなのですが、つくづく思います。真摯な医療者が、私は好きなのです。好きだから、そういう人たちが苦労するシステムや、そういう人たちの苦労を代弁するフリしてその実、患医の関わりをもろにゴーマンに片づけようとする訳知り顔の人たちが大嫌い。

自分でもワケわからない涙ボロボロの状態に、「明日から職場に行ってはいけない。診断書は送ればいい。何か必要があれば僕から話をしてもかまいません」ときっぱり言われ、「村井さん、つらかったでしょう。今日はよくがんばってここまできてくれました!」と肩を叩いて送り出してもらうとき、プロってなんて頼もしいんだろう、と思う。そうなったら、「え?!あれがそんな効き方する?聞いたことないな?えっ、ええっ?」ってアンチョコが机上にダイレクトに飛び出してきちゃっても、私は気にしない。『今日の治療薬』、そうか、2008年度版は表紙がパープルなんだあ、と思いはしても。質問には率直に応じてくださる心、誠実に対応してくださる技術、その前には、私は素直で従順な患者以外の何者でもなくなります。そうありたくなるし、何より自然とそうなる。

 

2009/12/05

 

 「村井さん、聞いてくれ!」

友人の大学教員の電話です。○療関係の学科に勤めるひとで、なかなか大変なブチグチを今までも耳にしてきたのですが。担当者が急遽必要になり、命じられて某旧帝○大学○学部にお願いをしたそうです。彼が悔しがって泣くには(笑)、まあ、えげつなく言えばです、「そんな報酬で引き受ける人間なんかいるか!」と、そういう返事だったらしいのです。万が一、差しさわりがあってはいけませんので、今回は伏せ字も多いのですが、彼が電話口で「こんな書き方があるか!」と叫んだ文面は、私の書き換えとあんまり差がないような気がします。念のため、「いくらで頼んだの?」と訊いてみました。どこの大学も財政はキビシイですし、ウチなんかもちょっとお安いです。ただ、関西圏は割合広範に、名門KKDRの講師料が他地域に比べそもそもお安めに設定されているため ― それでもKKDRなら人がくるから、でしょうねえ ― 他大学も追従して金額が抑えられてしまっていると言われますので、彼の勤務地域ではどんなんかな〜?と思ったわけですね。

「『他学部は存じ上げませんが、○学部で出講する場合は、だいたい●●円くらいが相場なのです。恐縮ですが、その金額で担当者を探すことは難しく、ご容赦願います』くらい言ってくれればよかったのにねえ」

 と私は慰めました。

「薬学だって物理だって、それでもなあ!」

「だからね、○学部は別格官幣大社なんだから。○療××やってるくせに、そ〜んなこと今さら言わなくたってわかってるじゃない」

「だけどな、だけどな…書き方、ってもんが!!」

「お気持ちは重々お察ししますが。伺えば私個人としても、そうは思いますが」

 と私は言いました。

「ぜんぜん世界が違うんだから、新婚旅行にエコノミークラスで行ったら同僚からバカにされるっていうくらい感覚違うんだから、って言えばそうだけど、見方を変えればよ、まさにそういう向こうの『常識』にしてみたら、おたくの学校がスッゴイ無礼者だったかもよ?ただでさえ○者が足りない、崩壊だ、っていうなかでさ、人を出すのにさ、こ〜んなハシタ金で頼もうっちゅーんかい!!って。いくらだったら出すのか、名の通った大学なら出すのか、知らないけども」

 彼は沈黙しました。お互いに納得した沈黙(「ハシタ金か?!」)ではなかったことは、納得していましたが。△△くん、直下の記事にも書きました。「仮に自分の立場だけに固執して厚顔無恥に生きたとして何が悪い」と思いましょうよ。あなたの、よき○療人、よき○療サポーターを育てたい、そうして疲弊する現場を助けたいっていう教育の情熱が、こんなことで消されないことを祈ります。あなたが思い描くような人材を待っているお○者さんたちは、きっと現場にはたくさんいる。だから、きてくれるひともきっと見つかる。私の知っている○師の方も、安月給にもかかわらず、一所懸命教育を引き受けられて、その熱意ゆえに教育への厳しいご批判もあって、励まし合えましたよ。人は人につきます。組織とその常識につく人ばかりじゃない。…と、私も他人事ではないなあ、と思いつつ、考えたのでありました。

 

2009/11/29

 

 ささいなことです。気がついて苦笑いしていました。睡眠障害が続き、食欲不振、意欲の低下、感情の喪失、を抱えて鬱勃たる休日。あらゆるインプットアウトプットが不能に陥っている我が脳ミソ、それでも悲しいかな、他にできることもなく数冊の本を読みました。目が疲れる、アタマが疲れる、でも、なんだか、涙が出るアハハハハ…。上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(最近、『おひとりさまの老後』も読んだばかりで)、森岡正芳『うつし 臨床の詩学』、山田規畝子『壊れた脳 生存する知』…などなど。ふと、思ったんだ。こんなに「我」を張っていいんだな、と。自分が或る立場になってこうだと思い込んだら、「こうなんです!」、「こう感じるものなんです!」、「こう考えるものなんです!」って断言して憚らなくていいんだな、と。「こうではないでしょうか?」とか、あるいは強気の断言、せざるをえない局面で思い切り断言した後、違う立場から見れば違ったこともあるだろう、そういうことを切り捨ててる自分、ああ、いやだ、なんてアタマを抱え込んでクヨクヨ悩んだりしないで、生きていていいんだな、と。

 或る相当に著名な国際政治学者が、なぜロシアがアフガンに進出したいか…アフガンの不凍港を獲得したいからだ(現代の、ですよ、ピョートル大帝やエカテリーナの時代の、じゃないですよ)、と大真面目に講じたという話を聞いて、椅子から転げ落ちたのとおんなじで。…アフガニスタンに海はございません(涙)。それでも講じて、平和について絶叫してもいいんだなあ、と思ったんですよね。「専門用語」を積み上げられれば。「知識」が、「専門用語」が、すなわち客観性や正しさの保証ではないんだけど。

 そう思ったら、私が仮に自分の立場だけに固執して厚顔無恥に生きたとして何が悪いんだ、と。…でも、やっぱり違和感あるな。「がんです、がんです、がんのこと考えてください!」、「鬱です、鬱です、鬱のこと理解してください!」。そうだとすれば、いったいどれほどの事柄に、私たちは「知識」を持たなくちゃならないのだろう…大事なのはなんなのでしょうか。「知識」なのか、いざとなれば知識を積むことのできる「知恵」なのか。同じ名をつけられる状態になったからとて、境遇や感じ方が同じになるわけではない。すべてを「原因−結果」に還元するのも考え方にすぎない。私ががんの罹患・治療経験から引き出した最大の教訓は、「がんになったからわかります!」ではなく「がんになったから、わからないのがわかった」ということでした。

 

2009/11/27

 

肩肘張らないと、意外にのんきに書きたいことってあるもんです。さて、今日は昨今話題の必殺仕分け作業に思うこと。

経費を削られる側、特に「自然科学系」、いわゆる理系の方々から批難轟々ですね。ノーベル賞級の学者、名門大学の学長たち、錚々たるメンバーが声を上げています。しかし、もともと僅かなおこぼれにも往々にして与らぬ文系研究者の端の端で考えるのです。常日頃、国境を越える学としての科学を主張し、客観的で普遍的に妥当する「科学性」を追求するのだと主張して憚らぬ方々が、何ゆえこんな論陣を張るのかと。予算獲得のレトリックだというならわかりますが、どう考えても「本気(マジ)」で言っているとしか思えない。或る医師たちのブログにもありました。

「国益のために」、「科学技術立国たるために」…と。

お国のために、研究するのですか?

お国のために、学問するのですか?

役に立つために、やっているのですか?

…こう言われたら終わりです。役に立たない研究はやめろ。金にならない学問はやめろ。お国のためにならないことは削減する。そして、まさに何がお国のためになるかならないかは、国の考える実利が上がるか上がらないかだ。敢えて言いますが、たとえば少数の難病患者にかける予算の負担が大きくなるなら、すべての難病に同等の巨額予算をかけられない限り、「最大多数の最大幸福」で少数者が切り捨てられる。その切り捨ての冷徹さを持たなければ政治家はただの「いい人」になってしまう。ただの「いい人」では政治はできない。それを「いい人」であってほしいと言うのなら、すべての科学者は博愛の精神を持った「いい人」でなければならないと言うのと同じです。あるいは政治家に「いい人」でいてほしいなら、大増税は必至の覚悟です。

 国策とは究極、そういうものだと思います。ナチに協力した(というより積極的に利用した、と私は考えますが)医学者たちから生まれたのは、ユダヤ人を氷点下の屋外に吊るして得た凍傷実験であり、色を変えられるかどうかの眼球への色素注入であり、双子の遺伝性調査としての異性の双子への性交強制・妊娠・出産であり、これは日本軍の「丸太」も同様です。なぜ許されたのか。まさにそのとき「お国のために」なることだったからです。お国の役に立ったのです。

 なのに、なぜ「国益」論理で闘うのか。科学が科学として存立する、もっと根本的には学が学として成立する、その意義を見失っているからではないでしょうか。技術となってこそ科学だ、役に立たなければ科学は認めてもらえない、そう思っているから躍起になって「いかに役に立つか」、「国益になるか」、「科学技術立国になれるか」で防衛線を張ろうとする。

結局は、仕分け人と同じ発想なのではないでしょうか。なぜ、科学が役に立たないといけないのですか?知的好奇心、未開の領域に踏み出していきたいという、その「知への愛」は人間の人間的な営みの最たるものであり、国家の利害を越えて人類の財産として守られるべきだ、そのためにこそ国益を役立てろ、そのくらいの大風呂敷を広げてはいけないのでしょうか?だからといって何をやってもいいわけではないのだ、という倫理的抑制は当然の前提として、ですが。みなさんは、「恐竜が毎時何メートルの速度で歩いていたか」を、「蟻のつくる巣はいかにして構成されるか」を、「どれほど役に立つか」で測ろうとなさるのですか?科学が技術と結びついて ― 良くも悪くも ― 効力を発揮し出したのは、それほど古いことではありません。科学技術という捉え方自体が、相当に時代限定的な思考なのです。

 上はノーベル賞級から、地の塩となろうとする実践的研究者までが、「おおやけの役に立つか立たないか」で測ろうとする、その学のあり方にこそ、私は疑念と危機感を覚えます。医学で言えば、地球上にたったひとりしか発病していない難病患者を救いたい、それはそのひとのためにしかならない研究であってもやりたい、国民を救うのではない、人を救うのだ、そのくらいのことを私たちは言わなくていいのでしょうか。現実に、特に自然科学研究の最前線が熾烈な競争であると知っています。でもその競争も、国同士の闘いであるよりは、実のところ「誰が」、「どの研究者が」、或る発見や発明に一番乗りを挙げるか、という専門家の闘いでしょう。そもそも日本の国家予算規模自体が他国と比較して小さすぎるのだと経済学者は言いますけれど、それでも考えうる最大のパトロンのひとつです。率直に言いませんか…本当に「国益」のため、「ニッポンのため」ですか?

 

もっと率直に言えば、今回の件は、端的にお金を要求するに、役に立つとか立たないとか、お国のためだとか、そんな枠を突破して分捕ってくるだけの説得技法を専門家たちがつくってこなかった、自分たちだけが大事ですごいことをやっているつもりでいるのが世の中には通じなかった、それだけのことであるにすぎない気もするのですが。そこで「世間は科学をわかっていない」なんて、思っていても言った途端、ペケ。負けたと同じ。それこそ世間知らずのゴーマニズムだね、で弾き飛ばされてしまいますから。憚りながらこれでも日々、千万単位、億単位のお金をめぐり「人にかけずして何の金だ!」、「簡単に結果なんか出ない、時間のかかることやってんだ!何がデータだ、バカヤロー!」と闘い続けておりますので。…勝ってるか、って?ときに勝ち、ときに負けます。それが人生です。

 

2009/11/21

 

 フフフ…坐骨神経痛は自力で治しました。ええっ?!と思われる向きには、米国はニューヨーク医科大学の臨床医であるDr.ジョン・E・サーノ『心はなぜ腰痛を選ぶのか サーノ博士の心身症治療プログラム』をお勧めいたします。サーノ先生が唯一認める根拠ある代替医療が、以前ここでも書いたワイル博士だというあたりも、信頼度の物差しを上げました。ただし日本のTMS(緊張性筋炎症候群)治療については、慎重になる必要があると思う(この本の監訳者は率直に、自分が何を書いているかわかっていないと思います)ことと、私の場合は腰痛が治った代償として、以降、自らの脳ミソとの対話・闘争に明け暮れておりますが。でもそのうち、何か突き抜けそうな予感があります。

 閑話休題。今日は、何と3ヶ月ぶりにR先生の診察に行ってきました。穴は順調なのでちょっと措きまして、瞼のブツブツカサカサのお話をいたします。昨日、近所の眼科へ参りましたが、眼自体ではなく皮膚の疾患であり、薬局で貰ったステロイド ― 眼科用塗布剤「プレドニン」 ― を使っていたと申告いたしますと、曰く「なんでそれで治らんやろ?おかしいなあ」。先生は引き出しを開けてかき回し、軟膏系薬剤をあれこれ引っ張り出した挙句、私が言っているにもかかわらず、いろんなチューブ出して「どれ?」。…だから、プレドニンだってば。治らないはずがなく、ステロイド含有率の高い軟膏に切り替えてもいい、ただし副作用として眼圧低下が生じる可能性があるので、定期的眼圧計測が必要になる、と。この眼科の先生は個人的には嫌ではありません何の恨みもございませんが、私、村井が考えたのは以下の通り。@眼圧の定期的測定に来る暇がない。Aプレドニンが残っている以上、新しい薬代を払うのをケチりたい。Bステロイドってけっこうキツイ薬である。継続して大丈夫なのか?C皮膚疾患だというのなら、明日R先生に一度診てもらおう。

そして本日。R先生、診て触れて、

「村井さん、乾燥肌体質じゃありませんか?このカサカサ、これは乾燥したうえに、皮膚は乾くと傷になりやすくて、細かい傷ができてるんですよ」

「えと、昨日、眼科でステロイドをこまめに塗れと言われまして、(この瞬間、私は名前をド忘れしたのでした)えと、何だっけな、え〜と…」

先生、言下に

「プレドニン?」

「そう!それです」

「あのね、ステロイドって、皮膚を薄くしちゃうんですよ。…今まで2週間も塗ってた?ステロイドは赤くなったの腫れたの、が出たらピンポイントで使うもので、2週間も塗り続けるような薬じゃないです。まして目の周りの皮膚ってものすごく薄いんだから。プレドニン使うとしても保湿剤塗って、乾燥を保護して、その上から塗るくらいにしないと、わざわざ乾燥させて傷つきやすくするようなもんですよ」

「……(やっぱり、とは内心の声ながら)あの、かゆいんですけど」

「乾燥して傷ができてるから、かゆくもなるの」

 …そうして、頂戴してきたのはプロペト(医療用ワセリン)と保湿剤を混合したクリーム。顔がカサカサしたら塗っても大丈夫、とのことで、夕方の外出前、顔洗って、このクリームを顔全体に使って、化粧をのっけてみたのでした。…おお!す、すばらしい美肌!!何よりあれだけかゆかったりチクチクしたり腫れたりした瞼が、ぜんぜん症状が出ない!き、きれいだ!とうの昔に殿堂入り成ってましたけれども、この瞬間、R先生がThe Best of my Doctorsの中央に鎮座ましましたことはneedless to sayです。…だってさ〜。場所はオメメでしたよ。かたや眼科でかたや皮膚科ですよ。なのにR先生は一発でプレドニン?って聞き返しなさったですよ。確かにステロイドって素人目にもよく効くの知ってるけど、単発・即効でよく効くって、ロキソニンもそうだけど、逆にキツくて使い方によっちゃ劇薬だって、これも素人だって推測できちゃいますですよ。アトピー治療での過剰投与が問題になってたじゃないか。皮膚ならなんでもステロイド?安直じゃないか〜?と私だって思ってたですよ。そういうことを一切、ちゃんと説明なさったうえで、お薬出してくださるって、しかも要はワセリンなのに効いちゃうって、それはもう、殿堂入りに決まっております。

 でも、文系にあって、専門の細分化の宿命を負い、かつ専門性というものに対する世の無理解と軽視が身にしみる者のひとりとして、これはイヤミでもなんでもなく、素直に、診療科の名称、変えてもいいんじゃないかと思います。「瞼の裏から内側科」とか「耳、鼻、口(歯・歯茎を除く)の穴からのどちんこまで科」とか、「体表科」、「胃袋科」とか。素人にもわかりやすいですよね。医学部の薬学教育にも、臨床における薬剤投与の認識にも、製薬会社にもひとこと言いたいんですが…長くなりすぎるので今日はやめておきましょう。…あっ、でもひとつ。米国の権威ある医療関係部局が、40代のマンモグラフィ検査はやりすぎだ、効果に疑問がある、って言い出したらしいですね。政治がらみの意図的な見解だという反論も出て、議論になってるそうですが。…だから、ですねえ…やめときましょう、長すぎる。

 

2009/11/05

 

珍しい短期更新です…が、実はたんなるグチです。今さっき、2回目のブロック注射を打ってきたばかりなので、まだしも坐れる。

症状が軽いと1度で効くそうなのですが、確かに動きやすくなった気はして、そのときは幾許か痛みもやわらいだように思ったものの、打って2日目には「うう、もう1本…」と。しかし、個人開業でもおじいちゃまおばあちゃまが大集結する2時間待ちのクリニック、業務との兼ね合い上、行くに行けず。昨日、半年間それこそ体を張って守り抜いた案件が教授会を通過したのを見届けて、ヘッコラヘッコラ「せんせい〜、もう1本」。これで症状の好転が見られなければ、次は硬膜外ブロックも考えると言われてため息。…硬膜外ブロック?と思われた方はどうぞ、ヤフるかググるか、なすってください。今日はそこまで説明する親切心を喪失。いや、専門家の目には大したことではないと思いますが…面倒くさい。何がといって、それでも注射がいい例で、こういう状況に立ち至ると西洋医学の「燃える火には水をぶっかけろ」の即効性に弱いのですね。そもそも何ゆえ火がつくか、そこに燃えやすいものがあるからで、火がつく前にちゃんと片づけておきましょう、という東洋医学的発想が、本当は自分の体に今いちばん必要なのだとわかってはいても。

どうも歯にも穴が空いているようだし、左瞼の痒いブツブツは治らないし、向こう脛の肌がどういうわけかボロボロになっているし、申し訳ございませんが湿潤療法体験記が全然更新できない通り、胸の診察にも行けないし、切ったほうの腋窩リンパ節にグリグリがあるし。…こんな体に誰がした。そう、そこで夕べ考えたのでした。…現代社会では、もはや誰しもが ― 私自身を含めて ― 「イェルサレムのアイヒマン」なのだ、と。視圏のない愚劣さ、わからないがゆえに悪意ともなりえない鈍感さ、仮に悪意や憎悪や我がままであっても、それ自体が深みのない薄っぺらな、ゆえにこそ度し難い陳腐な悪。

 

2009/11/01

 

 坐骨神経痛が悪化。足が痺れて30分と坐っていられません。立ってもつらい。整形外科学と麻酔学、鍼灸学の知見に頼り、神経ブロック注射と鍼とで治療中ではありますけれど、より悪化させる生活しかできませんので、何のために治療してるのだか。

 今回のさらなる病歴の増加にあたり、何を考えたか。…「病院」にかかりにくくなってしまいました。自分自身が連日寝るだけで必死の、平均115時間から20時間労働です。土日がないのも日常茶飯事。学会になど出られたものではない。お注射や鍼以外に、目下、活用しているのはデパス、マイスリー、レンドルミン、デジレル、ロキソニン、ムコスタ。正直に、人格崩壊状態で、どうしてこれで業務がこなせているのだか、不思議でしかたがありません。

 そんな状況で、42時間連続勤務だの、12人に1人が鬱状態だのと聞けば、近所に整形外科がなくたって、どうして「病院」に行かれましょうや?他に支障はないのだろうか、坐骨だけが原因だろうか、と思いつつ、M元帥に情報統括していただきたくたって、レントゲン1枚のためにと思うと、足は鈍る。なんとか見つけたペインクリニックが救い。

 もちろん、どれほどへばっていても、同僚に事務方に怒り爆発でも、学生相手は話が別。ない時間を割いて相談も受ける、話をする。…なぜなら、それが私たちの本来の「仕事」だから。仮に、わがままで事務局の壁、ピンヒールで蹴り壊すような学生であろうとも、向き合うのが私たちの「仕事」だから。ゆえに、医師をはじめ医療スタッフは、訪れる患者の相手はするでしょう。それが「仕事」だからです。しかし…。「病院」からは足が遠のく、同じように苦悩する医師たちの姿を浮かべてしまう私がいる(同じように苦悩しない方々は、私とは関わりがありません)。

 それこそ毎日働いていて考える。上は文科省、私大協、私短協、評価機構から、なおかつ企業ニーズだ学生ニーズだと嫌というほど闘いは続くのですが。今日は、民主党政権誕生で右往左往する日本医師会の記事が出ていました。けれども、そうした「大文字」の政治や制度の問題に対抗するに、現場は疲弊だけが理由で撤退・譲歩を余儀なくされるのでしょうか。たとえば私の職場は、病院になぞらえるならば医師に当たる人間の数が圧倒的・絶対的に足りない。ではこれも喩えて、足りないというだけで、皮膚科医、内科医、産婦人科医、外科医、眼科医、耳鼻科医、麻酔科医、それぞれの担当から診療部一丸の連携努力ができないのか?と問えば、眼科の専門であっても病院経営会議から、カンファレンスから、救急部門で外科領域まで引き受けて死に物狂いで働く人間もいれば、「患者がバカだから〜」と診療時間に遅れたり早退したりする人間もいれば、患者も会議も放り出して研究費の書類だけは書くヤツもいる(私の職場では科研費申請書類を書いただけで、審査に落とされても小遣いが出ます)。つまり「小文字」の政治・制度の段階で、崩壊しているのです。すべて「疲弊」を理由にして。…それが「現実」なのだ。そう思うこの頃です。

 しかし私は、これを似非ルーマン流のシステム論や、教育再生を他人事のような麗々しい記事に書き続けるマスコミの風潮だの、患者・学生・保護者のモンスター化にだけ押し付けたくない。そういう側面がないとは言わない。けれども、そこに言い訳を探しフラストレーションをぶつける前に、すべきこともできることもあるはずだ。考えよう、やってみよう、そう共鳴しあって助け合い、疲弊を凌ぎあい支えあう仲間がいる。…疲れた。本当に疲れた。痺れる足を引きずりながら、仮に医者を選んでいたとしても、とても体力でつとまらんな、と苦笑いしながら、「疲弊する」高等教育現場に立って、遙かに医療を見つめる日々です。

 

2009/10/08

 

下のようにお知らせした後で、どうしても書きたくなるいいことが起きるというのは、不思議なものです。まあ、いいや。大改編を加えるまで、ぶらり、気ままにまいりましょう。

 ここ数日、続けて中堅・若手の医師の方との関わりがいくつかありました。医療と教育の類比性は以前からいろんな場で言ってきたことではあるのですが、たまたまそれを軸として語り、ああ、わかりあえる、交わし合えることばがある、と改めて感じられる出会いでした。いずれも、いらっしゃる現場の足元を見つめ、問題の起因を制度に、人に、物に、と冷静に見つめ、誠実さ、やさしさ、厳しさを持って向き合い、取り組んでおられる方たちです。そうとわかることばを使われます。

ご存知の方はご存知でしょうが、私は、共同通信の取材に対し、「日本医療への最後の信頼を失わない」と答えました。しかしながら実は、この取材を挟んだ前後一時期、聞くに堪えないマスコミや患者への悪罵、言葉を見ながら文を読まない滅茶苦茶な話ばかりぶつけられる経験をし、すっかり嫌気が差してしまい、ことばの成り立たない多くの不毛への落胆が、医療・医療者に対する根深い不信と化してしまった感があったのです。ようやくそれが、再び希望に変りました。こういうことばを交わし合えるなら、仮に意見がぶつかったとしても、その衝突さえ新しい理解を生むだろう、と思える出会いでした。

 実際、おひと方は、そもそも批判をぶつけてこられた方でした。真摯に応え、さらに真摯な答えがかえる、かくして先日交わしたメールはついに、お互いを認め、励まし、いたわりあうことばでいっぱいになりました。決して「一致」するのではありません。異なる音が「共鳴」し、響きあうと言えばいいでしょうか。

 どの世界でも同じでしょうが、若い人たち、そして若さが経験を重ねて熟練へと実りゆく働き盛りの人たちが、新しいまなざしをもって見つめたとき、その世界は変ってゆきます。見つめられない目であるのなら、それは年齢だけは若い、或いは中堅でも、刷り込まれたもはや老いの目をしているのです。「年を重ねる」のではなく。

 大にならない静かな声で、自らの生きる一隅から不合理を訴える日本医療こそ、がんばれ。真に不条理に耐え、制度疲労に耐え、刻苦に耐え、なおかつ自らの努力をもってこそ現場を変えていこうとする医療者たち、がんばれ。こういう出会いがあるかぎり、私はやっぱり、日本医療への最後の信頼と希望は失わない。何度もへし折られながら同じような状況を耐えている職業にあるひとりとして。

 

2009/10/04

 

 引用なしの、まあ、本日は雑感まじりのお知らせです。

 

★現在のような形でのサイトは、終わりにしようと考えています。ページのなかでも、やはりP.B.C.C.と、最近つくったばかりにも関わらず、湿潤療法体験記へのアクセスを多く頂戴しています。特に後者は、乳がんの放射線治療は大きくうたわれながら、いまだ弊害があまり取り上げられない今、残しておくべき価値はわずかでもあろうかと感じます。ですので、このふたつを残す形で、更新がなくても済むように大きく改編する予定です。…この改編をする暇をつくるのも、なかなか困難なのですが。この点、何かご意見がおありの場合には、お寄せいただければ幸いです。

★終りにしようと考えた理由はいくつかあります。まず現実問題として、多忙すぎて更新がほとんどできません(この事実は、研究者仲間とも意見が一致したのですが、医療者のネット利用についても或る推察を可能にしました<>)。それから、本業で腰を据えて取り組み、書きたい思いも募ってきました。サイトは放っておいても腐るものではありませんが、放置してこのまま残るということが、私自身には次に述べる最大の理由につながります。

私は、そろそろ「乳がん患者であること5年」に終止符を打ちたくなってきました。医療についての関心は変りませんし、何か意見を述べた場合、「私自身、生存率のかかった罹患経験があります」と言えることは、講演などを引き受けた場合に或る種プラスの立場を確保させてくれはします。

しかし個人的にはこの頃、正直、このスタンスに囚われているために先へ進めない、治療の問題を含め、どうしても過去に対し執拗なまでの食い下がりをしたくなったり、失った人間関係 ― そこに本当に心情の交流があったのだとすれば、ですが。これは相手のあることですからわかりません ― を悔やまずにいられなくなったりする、そのすべてにもはや取り返しがつかない以上、残るこだわりにはマイナスのほうが大きい、という気がしています。また私は、どんな形にせよ、乳がんを自分のアイデンティティの核にして生きるつもりはありません。一過性の経験として、静かに暮らせる社会こそ、私の夢見る社会です。ピンクに染め上げられる世界を見たいひとたちもいる、しかし経験を蒸し返したくない、何事もなかったように暮らしたいひとたちもいるだろう、苦しみの真っ只中にいるからこそ黙って耐えていたいひとびともいるだろう、そしてピンクを見るたびに苦痛を感じる私がここにいる、そのさまざまな思いにさまざまに染められる世界が、私の夢見る世界です。それこそが本当に多種多様な「あなたの大事なひとのため」の社会であり世界であると私は思います。

 

★さて、ちょっと面白いことがありましたので最後に記します。知人が居住する市で、検診に絡み、乳がん・子宮がん解説のパンフが配布されました。解説は主に、私もそのお名前を尋ねられて即答できるくらい、がん治療で高名な放射線科医の著作や見解にもとづいて作成されていたとのことなのですが、最後のページに、産婦人科を中心とする医師会のコメントがわざわざ掲載されていたそうなのです。主旨は「ここに載っている記述には、外科的治療を軽視するような点が見られるが、これはこの放射線科医の見解であって医療界の趨勢ではないことをご注意いただきたい」。私が知人とどのような会話を交わしたかは記しません。ご賢察ください。しかし、面白い。実に面白かった。

 

2009/09/15

 

「困じごとにからまれて、心くらむことがあったら、目を閉じて ― たとえば、貝の産む真珠、たとえば空とぶ鳥、などへ思いを凝らせてみてはどうか、とすすめたい。(…)といっても光も自由も、もとより胸中に見るだけのもの、それが現実の苦を消す筈はないが、心の塞ぎを救って、気息を整えるのに役立つだろう」

幸田 文「こわれた時計」『季節のかたみ』講談社文庫より

 

 大露伴が、娘・文に語りかけた言葉。この後、温泉にでも行かせてやりたいが、夫の破産に慌ただしいなかではそうもできまい、せめて苦しいときに身は出湯のなかと思ってごらん、湯はきっと答える、と続く。

 実のところ凄まじい精神状態で、この一文を読み直した今日である。めまい、耳鳴りが常態化した後、今度は疲労を疲労と感じられない、言わば「感じを感じない」おかしさに気がついて、五年仮釈放後は当分ご縁がないはずだった我が○○病院、最後の精神解放区、神経科M先生のところに駆け込んだ。結論、鬱すれすれ。さんざんブチグチを聞いていただいたうえ、あれは合わないのこっちは効くのとわがままをこねた挙句、デジレルとレンドルミンとデパス。どうやらよく眠れるようだと思った矢先に、喉が痛み出し発熱して出勤停止。インフルエンザ騒動のなせる技である。迅速検査の結果はシロ、診断は「上気道炎」。要するに夏風邪をこじらせたのだ。

 とはいえ、私は病気である。水曜日まで休みをとっている。今、聞いた人が一様に驚愕する声である。熱は上がったり下がったり。だるい。寝ていたい。ところがこんなものを書いている。寝ているような気分にしてもらえなくなったせいだ。詰まった鼻で怒り心頭である。 ― 昨日今日の二日間で、何本の電話と携帯メールとパソコンメールをやり取りしなければならなかったか!誰か一人つぶれて動かない組織は組織ではない、私がダメなら代りを探せ、タテマエだけでもそれなりの組織改編はしてきているだろう、何年この職場にいる、何年幹部をやってきた!やらせろ!!と最後に濁声を張り上げて叫ばなければならなかった。傲慢に聞こえるだろうが、この数年、もっと穏やかに言い続けてきたことなのである。病人であることさえ許されないのかと、私はつくづく悲しくなった。

 そして新聞をかさこそ開けば、迅速検査キットが足りない、むやみに検査をしたがるなと、こうである。スキポール空港へと下降する機内で、けったいな光景を見た。日本人のツアー客が、続々マスクをし出したのである。すでに日本国内が蔓延状態に入ったと言われていたのに。だが、同じ組織人として、旅行会社を気の毒に思った。とんちんかんな対策でも、何かしておりました、と言い訳をしなければならないのだ。私自身、症状から見て新型でも季節性でもとにかくインフルエンザではない、と確信していたが、シロだと証明できなければ組織防衛に支障が出る。ご専門の方々は、マスコミが不正確な情報を大騒ぎに流すせいだとか、一般人が無知の恐怖に踊るからだとか、まあ、あれこれ並べた最後に「現代の日本社会の病理」あたりへ落ち着かれることと思うが、組織に身を置く者として、私は怒りをこめて考えるのである、専門家だろうが官僚だろうが企業だろうが学校だろうが、それぞれの立場でそれぞれが、自分の発言や行動の与える影響、反響に思い巡らしながら働き、一朝事あったときに「申し訳ございませんでした」だけで済ませず、何を考え、何をなしたか、誠意を込めて説明する ― それをして「責任」というのではないか? ― のだと、腹を括っていれば、「現代日本社会の病理」なんぞ容易に克服できるのだ、と。

 さまざまなる怒りのぶつけどころがなくなって、フラフラと、薬箱のかたづけなぞに手を出したら、無印良品のきれいなビンに詰まったノルバデックスを発見した。まるでいかにもおっぱい用の薬ですよと言わんばかりに、錠剤のおさまる部分がまあるく半球状になった、シルバーにブルーラインのパッケージ。飲むのを止めてからも、或る種記念の感慨があったものか、捨てずにいたのだ。じいっ、と眺めた後、白いねじ蓋をあけ、ビンをゴミ箱へさかさまにぶちまけた。5年を捨てた ― とでもいうような、ささやかな爽快感がきた。

 さてその後に、何がありうるのか ― それでもたぶん、考え続けなければいられないだろう因果な頭だけが、残りそうな気がする。それは私にとって、きっと答えてくれる湯になるのか、飲まされ続ける煮え湯となるのか。未だ5年以後に未来を描けないままである。

 

2009/08/29

 

「私たちは見たいと望むものしか見ることができない。そして見えたはずの星座は、すべての星座がそうであるように、本来、ランダムに散らばっている星々を繋いでみた『空目』なのである、と」

福岡伸一「福岡ハカセのパラレルターンパラドクス」『週刊文春』93日号より

 

 福岡が「空目」と名づけるのは、「実際にはそうでないのにそのように見えてしまう」ことである。実験結果を捏造したガン細胞研究スキャンダルのエピソードを紹介し、上記の引用で締め括っているエッセイ。この事件は先ごろ出た『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)に詳しく書かれているが、エッセイは短い分だけ、よりクリアにまとまっていた。

彼の著作にはいつも感動してしまう。分子生物学という最先端科学の一つを専門とする「科学者」でありながら、いや紛れもなく「科学者」であるからこそ、科学的認識の ― いかなる認識も、なのだと考えていると思う ― 「見たいと望むものしか見ることができない」本質的限界、すなわち人間の限界を見つめ続けている穏やかに冷徹な姿勢。私たち人文科学者、社会科学者、そして最も「客観性」を主張し信奉する自然科学者であろうとも、新書の帯にある「科学者たちはなぜ見誤るのか?」、この問いから永久に逃れられないだろう。なぜ見誤るか、正解があるのにたまたま間違ってしまうのではないからだ。認識そのものの機構が、私たちを誤らせずにはおかないのだ。福岡は「科学者」としてそこから目を背けようとしない。

閑話休題。フランスには「SOS Medicine」という救急組織がある。10年近く前、滞在していたストラスブールのアパルトマンの部屋は、駐車場を挟んでちょうどその支部の事務所と真向かいにあった。或る日、見下ろすと、真っ白な車体に「SOS Medicine」と青字を染めた4ドア車。トランク開けっ放しの脇にしゃがみこんで、とてつもなく大きな黒いカバンをこれも全開にして、男性がひとり、整理をしていた。中身は一目瞭然ながら、これだけ詰め込んでいるのかと目を瞠った量と種類の医療器具や薬剤や、だった。ち、ちょっと、あ、あなた ― 同居人に聞いていた組織の活動形態から推して、間違いなく医師だと思う ― いくらパッケージはがしてないからって、注射のアンプル、じ、地面にじか置きしちゃっていいんですか?!と、吃驚したりもしながら、面白くてじいっと観察していた。古い石畳に座り込んで、せっせ、せっせと片づけは続く、色のさめたジーパン、よれよれのチェックのシャツ、その背中に照りつける暑かったアルザスの日差し  ― まだ自分ががん患者になると予想もしなかった頃の記憶に埋もれた光景を、今回のパリはパイプオルガンの響きわたるサンシュルピス教会で、なぜか突然思い出したのだった。

 

2009/08/14

 

「現在の診療報酬は、決め方に科学的根拠がない」

「医療ルネサンス 安心の課題」『読売新聞』8月14日付朝刊より

 

 コメントは「外科系学会社会保険委員会連合手術委員長(東大小児外科教授)岩中督さん」。確かに診療報酬が適正な価格を算出していないとは、患者としても感じている。書いたこともある。ただ、このコメントには首をひねった。朝のひととき、マグカップを片手に真剣に考え込んだ。

 …報酬の「科学的」根拠…。いかなる意味で「科学的」な?経済学という、社会「科学的」な?よもや自然「科学的」とか、実験「科学的」とか、ではないだろう、とは思う、のだが…。

価格は需要と供給の均衡で決まる、これは中等教育の政治経済の教科書にある。それだけではあるまいのは、すこうしばかり大人になるとわかることで、例えばさまざまなコスト、人件費をはじめとして時間や機材・資材…アイデア料みたいなものもある。しかし、それは、か・が・く・て・き、な評価で算出可能なのだろうか?

記事を読むと、これも含めて取材された人々の発言が、時間・労力・技術的なコストに対する適正な評価がない、という点に尽きるのがわかる。さて「高度な技術的」コストが、「科学的」に算出できるのだろうか。むろん、医療には最後に「命」がある、だが、例えば手術を文字通り ― 外科医がしばしば「手技」を誇るように ― 体力と気力と知能をその手に傾注して施す「技術」として算定する立場を採るとすると、きわめて精密な機械の中枢が故障し、非常に時間のかかる、熟練した技術者の手に成る高度な修理が必要な場合と、同じ機械の蓋が割れたのでネジを外して取り替えるだけの場合と、何が違うのだろう。このコメントのあとに続く例も、20分ほどでできる白内障の手術と肝臓手術を比べているが、どう読んでも時間コストと材料費と人件費と技術料の差異の問題であって、全然「科学」とは関係がない。結局のところ、「科学」と「技術」とについて、世に声高なほど改めて自問していないというだけなのか、あるいは「Evidence based Medicine」という名のウィルスに脳ミソを侵されすぎているだけのような気がする。そういう状況下で政党を選ぶというのも、なんだか背筋が寒くなる私である。

さて、こういうことを考えてクサってきた脆弱な脳ミソを、晩夏のパリの風で虫干ししてくる間、読んでくださる皆さま、ごきげんよう!まだまだ暑うございますが、おすこやかにお過ごしください。

 

2009/08/11

 

「医療と教育は、市場化の波に対する最後の聖域だったと私は考えています」

「両者を比較した明晰な分析とご意見に、医療と共通する教育のご苦労がしのばれます」

或る大学教員と形成外科医の往復書簡より

 

 エッセイというと、すべて「ありのまま」を書くと誤解されがちである。ち、が、う。私のような素人物書き(論文はプロです、悪しからず)でも、「真実」は書くが、「ありのまま」は書かない。そういうものだ。語られることは常に、真実を表すための騙りなのだ。そう前置きしておくのは、上記引用が「ありのまま」ではないからだ。私信なので特に断っておく。

しばらく前に、教育現場を媒介として、メールをやり取りする機会があった。私のほうが批判される立場だったが、チャンスだと思い真摯に返事を書いた。お相手も、真剣に取り組んでおられるからこそ教育現場を批判される方で、回数は少なかったが実りのある対話になった。最後には、「がんばれ!」と励ましてさえくださった。

 …私自身、しばしば12時間労働は当たり前になっている。ときには、14時間労働に及ぶ。自宅に持ち帰る業務があるときは、さらに延長で労働は続く。授業が診療だとすれば、朝の9時から昼過ぎ14時半まで立ちっぱなしで講じ続け ― つまり坐ったまま診療し続け ― と似たような状態になる。残りは何をしているかというと、1日に34本の会議は当たり前で、加えて会議のための非公式の打ち合わせが手ぐすね引いて待っていて、切り抜ければ今度は経営計画だの、財務調書だの、議案だの、他学との連携プランだの、文科省さまさま対策だの、カリキュラム改革案だの、だのだのの書類が机上に崩れかけそうな山を成している。管理職をやっていれば、特に大学の魂を預かる部門の長を務めていれば、その程度は当然なのが昨今の高等教育現場である。もっとも、事務方がもっとしっかりしていてくれれば、書類仕事も少なくとも半減はするだろうが。学生と面談していたって、正直、ドクターズクラークならぬティーチャーズクラークがほしい。睡眠時間が23時間というのもざらになった。そもそも悩ましさで寝つけないことが多い。手術に差し支えると思って睡眠薬が呑めないままテレビをつけた「主治医」の気持ちがよくわかるようになった。起床時間を思って呑まないことが、私も少なくないからである。寝られないまま出かける日もある。休日も夜になると緊張する。起きなければ、と体が自動的に起床態勢に入るからだ、と休暇を迎えて気がついた。

 「医師不足」のひとつに偏在があるのではないかと言ったら、医療崩壊小松先生万歳派の医師からこきおろされたことがあるが、不足に加えて偏在があることは昨今報じられる通りだ。この点、高等教育は逆転の不幸を負っている。教員の供給が過剰なのだ。医師を絞った厚労省に対し、文科省は出口もつくらないまま大学院生の量産に走った。結果、ポスドクの悲惨はこれもすさまじい。非常勤すらない。医師は大量辞職に走っても次の職場があるかもしれないが、私は工場労働者になったポスドクを知っている。

 ― 想像力 ― 何事も想像力だ。想像力がつなぐ共感の創造はありうる、そして、それこそが確かな共闘と改革になる。冒頭のメールのやり取りは、教員と医師のあいだに共鳴と理解を確かに生んだ、と私は思う。さあ、責めるべきは、誰だろう。訴訟に走りたがる感情論ばかりの患者たちか、モンスター化する保護者や学生たちか。文科省か、厚労省か。いずれにしてもグチをこぼし罵倒の相手を探す前に、現状を変える闘いは、自分のいる場所でできる。往々にして、まず変えなければならない現状は自分の居場所なのだ。自分のいる場所を変えるだけでも、その変らなさに死に物狂いの疲弊を強いられるのが「組織」だ。ここを変えられないグチや罵倒など、何をかいわんや、である。

 そんな泥濘をこえて ― 冒頭のやりとりが実現したように ― 医療と教育が連携する未来はつくれるだろうか? ― つくりたい。…というには、あまりにも疲れ果ててはおりますので、ここいらでひといき、エッフェル塔から世を睥睨してこようと思いますが。でも、標準治療を途中でやめるわ、タバコは130本以上に増えてるわ、にもかかわらず、きれいな肺と骨と内臓と乳房で、何事もない我が身なんですよ?エビデンスというのもあまりあてにはなりませぬな。『たばこアトラス』の写真は合成だそうだし。「anti-WHO!」と大書したTシャツを着て歩こうかな、と愚にもつかぬ想像を楽しむこの頃です。絶対正義を主張する「科学」ほど怪しいものはないのだ。使い方を誤ったなどというレベルではなく。

 

2009/08/08

 

「6F、コードブルー、解除」

○○病院館内放送より

 

「業務連絡、6F、***」。外科外来から、医師たちが駆け出して行った。***は聞こえなかったが、その光景を見れば待合の患者が「何かあったんやね」と囁きあうのは当然である。そして10数分後、引用の放送が再度入って、そうか、コードブルーか、と納得した次第。わらわらと戻ってくる白衣軍団、でも10数分で解除されるところをみると、召集訓練だったのかな。

「コードブルー」はテレビドラマのタイトルにもなった「緊急事態発生、全員招集」を表す隠語だ。隠語は、知らせたくない人たちには知らせない「隠れた」意味があるから隠語なので、隠れもなくなったところで使って何の意味があるのか、と苦笑い。しかし、考えてみれば医療に限らずやりにくい世の中かもしれない。私はお鮨が大好物だが、「シャリ」とか「ムラサキ」とか「アガリ」は、カウンターのこちらで使うものだとは思わない。「ケモ死」も「ムンテラ」も、近頃では「デブリ」(これは隠語というより専門用語か)その他も知ってはいて、用法や姿勢について一定の立場から分析し、場合によってはコキオロし、皮肉るために使いもするが、患者として大元帥以下、我がPKFの将官たちの前に座ってこれらを口走ったことはない。喩えていうなら「酢飯」、「おしょうゆ」、「お茶」で患者はいいのだ。私たちはあまりにも、知らないでもいいことを知りすぎ、知るべきであることを知らされないままの世の中に生きているような気がする。

そんな風に考えていた昼下がり、5年無再発無転移生存を証明する検査結果を聞いた。大元帥は急な手術 ― 診察室を出てゆかれる白衣の背だけを拝見 ― でお留守。しかたがないけれど、これはいささか悔しかった。節目!!である、それに大元帥なら笑ってくださったはずの「わ〜い、仮釈放だ!」が、大変真面目なお若い代診の先生には通じなかった。その後久しぶりに駆け込めたR皮膚科では「おめでとうございます!」。う〜ん、これはひたすら、亀の甲より年の功、である。キャリアは大事だ。 ところで病院を出るとき ― 私は予想外、意外な反応を起こした。5年 ― 初めの頃は、この日を迎えるときどんなに嬉しいだろう、記念にダイヤのアクセサリを買おう、などと考えていた。5年を経て出かけた当日の朝は、病院慣れし過ぎていて、たんにいつも通り行って帰ってくるだけのかわりばえしない日常だった。しかし ― しかし、である。次は半年後でいいのだ、当分来なくていいのだ、解放された ― と玄関を出ながら、これは思いがけなかった。我ながら驚いた。この日、このとき、こういう感じ方になったのか、と。おかげで、これ以上一章も書き加えないだろうと思っていたP.B.C.C.をひとつ、新たに書くことになりそうである。

ともあれ読み続けてくださった皆さま、有形無形に助け、支えてくださった皆さま、改めてここで一区切り、御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。無事、5年です。そして、ここですから敢えて書く、現大元帥閣下はじめ我がPKFの将官たちには、今、心からの敬意と感謝を捧げます。今後も何かあったとしても、彼らのもとで数える余命なら、悔いのない大統領です。

 

2009/07/22

 

「ピンクリボン活動にも限界があると思っています。東京タワーや京都タワーをピンクにライトアップすることが、いったいどれくらいの人の乳癌検診を受診するきっかけになったのか、いつも知りたいと考えています。

あるいは若い人の乳癌をテーマにした映画やドキュメンタリー番組がタイアップして20代、30代の女性を対象にしたマンモグラフィ検診をしているそうですが、それは医学的に乳癌の死亡率を下げられるという根拠のあるものではないでしょう。

もともと若年者には乳癌の罹患率が低いことに加え、高濃度乳房の人が多いので高齢者と比較して画像上病変を検出することは難しいのです。無症状の若年者に検診マンモグラフィを推奨する医学的根拠はありません。そういうことをきちんと説明した上で納得づくで受診してもらっているのならよいのですが。

(もちろん症状のある人は乳腺外来をすぐに受診するべきですし、無症状の若年性乳癌が皆無であるというわけではありません)

変に恐怖心をあおって不必要な検査を勧めるのではなく、科学的根拠に基づいて効率的な癌検診を提供していくのが我々の責務であると考えています。」

『京都の医療を考える若手医師の会』ホームページ、日記より

 

 両手両足を縛られながら「八面六臂、全力疾走」を強いられているような仕事づけ。16日に書いた某案件に「私がやらなくて誰がやる!」と燃やす使命感でさえ挫かれかかる事務方の暴虐に、ひたすら耐える鬱勃たる毎日。その僅かな隙の骨休め、本サイトの湿潤療法体験記アクセスが増加している理由をたどって偶然見つけたのが、今日の引用元である『京都の医療を考える若手医師の会』だった。

 こういう思惟があり、こういう声になる。こういう声こそが、医のサイレント・マジョリティであると「信じたい」 ― そんな「こういう声」に、ひとつ、出会った。ひとつ、出会えた。いくつか記事を読みながら、私はほっと心温まる思いがしたのである。記事の意見や感想に賛同するとかしないとか以前の「書き手のスタンス」に。

 リンクフリーと書いていなかったので、本当はリンクのページに貼りたいところを、ご紹介だけにとどめる。どうぞ、ご関心の方は会名でご検索の上、お訪ねください。

 それにしても、会の運営を担っておられる方が、我が平和維持軍将官たちの多くと同窓であるのは、偶然でありましょうか?それともやはり、ノブレス・オブリージュを旨とした優秀なる兵学校だったのでありましょうか?う〜ん、事務方の暴虐なんかに負けるか!N先生以来M先生に至るまで、我が戦線を支えてくれた将官たちに応える未来をつくるのだ、そういう仕事を負っているのだ!!

……と心は逸る、脳ミソ止まって体はへばる。うまくいかないものである。

 

2009/07/16

 

「働くことのできる赦しを得ることは ― この世の中ではいちばんいいことだ。なぜなら神は呪いのために 人間の祝福よりもよい賜物を与える」

エリザベス・B・ブラウニング

 

メニエール発症しかかりでメニスロンとセファドール服用中。世界中が回って起きられないだの、右耳がときどきスポッと聞こえなくなるだの、「ターミネーターとはいい気な仇名を奉る、こちとら生身の人間だわよ」と歯軋りしつつ、この体にお付き合いしていくしかないのだと半ば諦めの境地。今日も小会議室を占領して、ハサミちょきちょきテープぺとぺと、コピーにコピーをくり返し、とある案件の巨大な対照表をつくり上げ、それを睨んで今度はパワポ。ここに書くには不都合があるが、主治医M先生から聞かせていただいた話が、或る種の我が使命感に火をつけてしまったのである。なんだかんだと文句を言いつつ、感情型の人間であるのが災いする、倫理学のなかでも非情の極北とされる某理論の研究を専門にしたのは、いったい何のためだったのか(笑)。

そうしてマウスを運ぶ心のどこかで、いくばくかこの5年を振り返る ― 遠い歳月である気もし、未だそこに囚われているから燃える使命感であるようにも思えて、複雑である。ただ少なくとも、じかに向き合う医において幸福な患でありえた経験を多く積んできた、それを最大限に還元する機会に今、立ち会っているのかもしれない。確かに、完治でなく寛解を良しとして、経年変化を見守り続ける病を抱えているのでなければ、私は今ここにある私ではない。今ここにある私だからできることも、わかることも、ある。もっとも、私は決して「病気のおかげで…!」と言うつもりはない。転んだからこそ肥沃な泥をつかめたというのは、転ばなければ緑豊かな花咲く一枝を手にしていたというのと同じことだろう。

 

2009/06/25

 

「さらに問題だったのは、同じ頃に医学界に広まってきた『根拠のある医療をしよう』という流れだった。それまでは根拠のない治療をしていたのか、と一般の方からツッコミが入りそうだが、これをEBMEvidence-based Medicine)という。要するにきちんと統計処理をしている論文を参考にしようという考えである。その考えの信奉者から『(…)という論文がなければ、消毒してなくていいということにはならない』という反論が出たときには、さすがに困ってしまった。過去の文献を探しても適当なものが見つからないからこそ、自分の頭で考えて消毒を止めていたからだ」

夏井睦『傷は絶対消毒するな!』光文社新書より

 

戸塚真弓『パリの学生街』(中公新社)と一緒に今日半日で読み上げたうちの1冊。1日で2冊読了するなど近来稀に見る出来事だが裏がある(笑)。むろん原因は明かしていないのでしかたがないが、2月以来、「先生の胸に開いてんのも弾痕じゃあないのか?!」と笑われる職場最強の仕事人間に数えられ、ついた仇名は「ターミネーター」。しかし現実にはもはや90分の講義1本を持ちこたえるのが精一杯、今日は遂に身体を支えきれなくなって昼下がり、個研の灯りを落とし、夕方遅い会議までの間、硬いソファとパイプ椅子を並べて横になるという手段で、職場からひそかに失踪したのだった。昼寝をするつもりが結局眠れず、静かな読書と相成った。最後はつまらない内線電話に出ようとして転げ落ち、左わき腹の筋を痛めてしまった。

さて、すでにサイトで親しんだ夏井睦のその本であるが。失踪しているのだから声を出すわけにはいかない。やむなく我慢の内心で、爆笑に次ぐ大爆笑。上記引用の最初の太字部分では「はいっ!!私、ツッコミ入れまくりでした!!」。太字2箇所目は、自戒も込めて入れている。厳密に言えば、「科学」をめぐる言説や、パスツールの政治性についての解釈に異論はある ― 夏井は医学を批判しても「科学」の客観性はなお信頼していると私は取るので ― が、何しろ湿潤療法は私自身がエビデンス、である。

考え込んでしまったのは薬剤使用をめぐる記述だった。忙しさで調べずに用いてしまっていた「ザルベ」。湿潤療法と消毒剤、治療薬剤との関係に関する夏井の論理は一貫している。ゲーベンやオルセノン、アクトシンは身をもって経験した。だからなおさら説得力を覚えるわけだが。

湿潤療法の原理を肯定するなら、少なからぬ薬剤がその使用において矛盾する。だが、湿潤療法を支持すると同時にゲーベンやオルセノン、アクトシン、ザルベを併用する医師たちは、夏井のつくる湿潤療法施行者リストに少なからぬものと推察する。私がその現実に向き合って、患者の自己判断で調整を加えているからだ。湿潤療法を認めつつ、従来の「パラダイム」(クーンではなく、あくまで夏井の語用範囲でここでは使う)を脱却しきれない不安なのだと見るべきか、やはり医療は多分に経験値への依拠にもとづくしかないのだと考えるべきか、薬剤にそれだけの根拠があるのだと信じるべきか、素人の浅知恵を生かせばいいのだと諦めるべきか、はたまた…。万が一にも湿潤療法を支持していたり、似たような治療法転換を創傷治療以外の分野でご経験の、医療方面ご専門の方が読者にいらっしゃいましたら、ぜひぜひこの辺り、患者がどう考えるべきかご教示ください。…って、いない、か。

 

2009/06/23

 

「特に月の裏側にいるときは格別の感情を味わった。私はほんとうに1人だ。全太陽系のなかで、自分の生まれた惑星すら見ることのできない、たった1人の人間」

「私は今1人、まったくの1人だ。月の向こう側には30億人プラス2人、こちら側には1人プラスそれ以外の人数」

「立体考差 月面に降り立たなかった男」『読売新聞』614日付朝刊記事より

 

 史上初の月面着陸で「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな躍進である」との有名な言葉を残したアームストロング、同行のオルドリンの陰で、母船待機していたM・コリンズの言葉だそうである。着陸船が離陸に失敗した場合、彼は2人を月面に放置したまま帰還せよ、と命令されていた。さらに無事離陸した後も、今度はドッキングを成功させるため850回/1日ものコンピュータ入力を1人でこなさなくてはならなかった。アームストロングとオルドリンが活動していた3時間、コリンズは独り、月の裏側を飛行していたのである。人類史の栄光に照らされた月の裏側を ― 。同時にそれは、「離陸に失敗したら」、「ドッキングが成功しなかったら」、2人の人間を放擲して生き残るであろう人間が「たった1人」で抱える死の重さでもあったのだ(この辺り、記事の描く宇宙的孤独はいささか甘いような気がする)。

 宇宙という場所が際立たせるけれど、「たった1人」月の裏側をゆく経験は、この地上にもいくつもあると思う。たんなる孤独ではなく、それこそ他人の存在の放擲を見つめながら、ひとり、生還するがごとき、無力な、不可抗力の瞬間。或いは、今ここでなされねばならぬ判断がいかに酷薄な結果をも引き起こすか知りながら、ひとり、引き受ける覚悟を固める瞬間。

 栄光の報いと背中合わせに、置き去られるかもしれない恐怖を超える勇気を勇気と呼ぶのは、それほど難しいことではないだろう。捨て去る残酷の可能性を負いながら、なおかつ栄光の裏側を経廻り続ける孤独に耐えうる力を、もし勇気と呼べるものならば。私はそんな勇気を持ちたいと痛烈に願うし、そんな勇気を日々奮い起こして生きているひとに惹かれるのである。

 

2009/06/13

 

1か月ぶりの更新は、またも引用なし。ネット医者について書いた本のこととか、かつてこのサイトにレヴューのページがあったとき取り上げた岩田健太郎が、一連のインフルエンザ騒動のなかで、きわめて納得のいく的確な議論を展開し続けていたこととか、まあ、この間にも目につく事柄はいろいろあったのだけれども、印象に残るこの一文なり一句なりがないまま、日々に追われてきているのが正直なところで。

CTMRIの結果を、4か月を経てようやく本日、知ることができた。何事もなく無事。同時に、改めて骨シンチ、エコー、マンモグラフィの予約を入れていただく。ついでに

「先生、先生のところから、胃カメラも入れていただくことはできますか?」

「うん、できるよ〜。胃がどうかした?」

 そこで私はほっとして、触診の済んだカーテン越しに、デスクに座り直されたM先生に向かって、かつてないほど「胃がここにある!」と感じる不快感、講義していて「痛っ!いたた…」となること、食べた後の異様なもたれ、がん罹患時以来の体重減、エトセトラをせっせと並べたのだった。

 ○○病院における即物的身体の情報および指令について、寛解状態の対がん戦略を中心軸として大元帥に統括しておいていただかないと、大統領はいやなのである。「む?」と大元帥が判断あそばされ任じられた一部戦線を、崩壊するがままたんに無許可空撮していただけとしか思えない某将軍は極度の不審、不信、フシンをもって自ら更迭させていただいたけれども、これとて大元帥の、将軍に対する戦術の信用をなんだと思っているのであるか、と大統領はフンガイしているのである。この辺りの比喩がおわかりにならない方は、P.B.C.C.で患者と医師のシビリアンコントロール関係を書いた箇所をお読みください。

 ともかく。対がん戦略の枠において目下の状況は以上であります。まったく更新ができないにもかかわらず、どのページにもコンスタントなアクセスをいただいていてありがとうございます。とりわけ、湿潤療法体験記に変らずご訪問を多く頂戴しているのは、思いがけないことでした。傷はほとんど埋まりかけています。当該ページで書いているように「湿潤療法恐るべし」なのですが、同時に私は、人体の持ち合わせている力にも驚いています。手術、放射線を遠因として、これだけの損傷を引き起こすダメージを受けていながら、時間をかけて援護し保護してやりさえすれば十分に回復する。湿潤療法がどんな損傷にも万能な方法というわけではないのは承知しているうえで ― 人体はやはり驚異です。

 

2009/05/06

 

Without good health there is no beauty. 」(美しさは健康とともに − 私訳

アンドルー・ワイルの言葉

 

 どうにも辛くなると、足を運んでしまう基礎化粧品ブランドがある。目当ては、『癒す心、治る力』でその考え方に大きく共鳴した統合医療の第一人者、ワイル博士が協力しているラインナップ商品である。高い。高いが、使っていると手触りや香りでほっとするので、お小遣いに余裕があるときはついつい。売り上げの純益は博士の財団で研究に寄付されるわけだし。もっとも、今日調べたら、このO社は某乳がん患者支援団体にも寄付しているそうだ。数ある団体のなかで何でここ〜?「会員のみなさんのお声を、先生方にお届けしなければ!」なんて、「あたくしはそういうコンタクトをお医者さま方に持っている特権者よ!」というのと裏返しのお偉いさんの言葉が堂々と載るような組織をいいとは思わないのだが、私の買わないキャンペーン商品の売り上げだそうなので、目をつぶることにしている。

 ワイル博士の協力する商品に惹かれるのは、使い心地のよさもさりながら、「ヘルシーエイジング」を標榜して、昨今のあらゆる我がジャパニーズメディアを賑わす「アンチエイジング」なぞと、決して言わないからである。加齢は当たり前、すこやかに年を重ねよう ― それがコンセプトなのだ。私は「自然」だの「ナチュラル」だのという言葉を信用しない。自然対文化の二項対立図式自体がすさまじく問題だし、人間存在はすでに自然でもナチュラルでもありえないのだから。かといって、最近、青山銀座六本木のみならず京都中心街にも増殖している ― 崩壊だ何だと争闘する一方でこんなもんばっか増えやがって、と医療現場に詳しい知人が怒り狂っていた ― ナントカ外科だのナントカ皮膚科だのの、切ったり貼ったり注入したり、宇宙映画よろしくレーザー打ち込んだり、「美人」院長のお肌もぺっかぺか、で加齢に抵抗するという発想にも与しない。年を重ねるのは人生の厚みだ。厚みは身体にも現れる。とすれば、50代の顔が30代だったり、30代の身体が20代に見えたり、若くありさえすればそれでいい、というのはやっぱり奇妙なことだという気がする。同時にそれは、積んだ経験への否定であり、蓄積のない空っぽな歳月の表明を肯定しているのではないだろうか?『舟唄ビューティ!』なる或る歌手の本の表紙を、たまたま本屋で見てしまった瞬間の衝撃が忘れられない。芸能人の職業意識として30代と同じサイズを保つ努力には頭が下がるが、50代がスパンコールぎらぎらの衣装をつけてウエスト露出している姿は見事を通り越して痛々しくすら映った。それを称揚する世の中と、薬品と機器を備えて待ち受ける医療機関 ― これも崩壊の一断面なのであろうか、それとも私が未来の希望を理解できないアナクロなのだろうか。そのうち人間は不死のアンドロイドになるのかもしれない。

 疲労のあまりに神経症 ― 断じて鬱ではない ― の発作を起こしかけている頭で、そんなことを考えた。考えなければ、休めるのに(苦笑)。

 

2009/04/26

 

「豚インフル『きわめて深刻』 WHOが緊急委員会」

『読売新聞』426日付朝刊より

 

 鳥インフルで大騒ぎ…パンデミックのなんのとの、報道の嵐がぴたり止んだと思っていたら今度は豚さんだそうだ。パンデミックの脅威を過小評価して言うのでは決してないが、これでは流言飛語である。公衆衛生学や予防医学やの専門家は「自分たちは真剣に訴えているのにマスコミが悪い!」と怒るだろうが、それにしてもそもそもの病原は何であり、それによって何が起きており、どういう結果を生むと予想されるのかについて、整理がついているのだろうか。病より先に病についてつくられていく言説 ― まさに医療のポリティクス ―― マスコミの不勉強だけが問題ではない ― について論じていた美馬達哉の炯眼に、今さらながら舌を巻く。

 かと思えば、共同通信のネット記事によると、結核、とりわけ多剤耐性結核が増加しているとのこと。「撲滅だ!」とばかりにがんが、「威信だ!」とばかりにiPS細胞が、国家政策になる裏で、数多撲滅されざる病、見出されるべき治療の課題、は生き続ける。四分五裂で上程されようとする臓器移植法案は、「偏りのない客観データの集積と分析が何より大事な」科学の世界に客観的な唯一の解答が存在しないことを、暴きだしてくれる。なぜ?有無を言わさぬ唯一の解答があり、参考人となるすべての専門家が同じ準拠するなら、法案はそれを根拠につくられるだろう。人間としての生命ラインが、民法と母体保護法と死産届出・死体解剖保存法のあいだであれほど違うひとつを見ても、或る医師が言った、「生かす気ならいくらでも生かしておける!」との言葉の傲慢さが私は怖い。

 まあ、それくらいにしておきましょう。私たちは「素人」なんですもの。騒ぎは専門家におまかせしましょう。せめてできることは、ありとあらゆる検診を日々受け続け、メタボに留意してウーロン茶をがぶ飲みし、サプリをボリボリして栄養バランスを整えておくことくらいか、と。しかし、私はそんな生活は真っ平ごめんなので、職場の検診も受けないし、サプリなんか飲まないで手づくりのお弁当を携え、お菓子も食べるし、タバコもやめられない。それでとりあえず5年を生きた。

 

2009/03/31

 

「たしかに、目標に至る道は楽なものではないかもしれませんが、厳しければ厳しいほど燃えるタイプ。臥薪嘗胆して頑張るはずです」

スタジオゼウスのホロスコープより

 

 …私の星座の2009年運勢である。安直ですね、お詫びします。医療問題をトレースしたいのは山々であるし、新聞その他を読めば「あっ、この言葉いい!」とも思うことたびたびなのであるが、残念無念、臥薪嘗胆して頑張るかどうかは別として、目下、道は楽でないどころか、これも厳しければ厳しいほど燃えるかどうかはさておいて、気が遠くなるほど厳しい毎日なのであった。医療と教育のアナロジーを頻繁に用いてきたが、遂に我が身にこの二つをクロスして引き受けなくてはならない状況にも陥って、青息吐息で書類を書き続け会議の連続に耐えている。

 そんななかで敢えて今日、中身もないのに更新しているのは、ここで我が近況を知ってくださり、さまざまご心配くださる方々がいてくださることが一つ。もう一つは、「湿潤療法体験記」ページに意外なほどコンスタントなアクセスを頂戴しているのに気がついたこと。これもあまりと言えばあまりの日常ゆえ、写真も撮れない、更新も進まない、のであるが、おかげさまで3度にわたる大切開の後、ようやく「順調な回復に入った」と言われる状態に至っております。

 かたや5年無再発無転移生存確認、仮釈放、の手続きはいまだ踏めていません。M先生のトボけていらっしゃるんじゃないかと思うほど、おだやか〜な変わらな〜い落ち着きのオーラに触れて、きりきり三昧の我が管理職人生を自省したくてしようがないのでありますが。

 そうでした、本日、共著ながらやっと本が出ました。本来の専門とは異なって、はじめて「本」として活字にしたテーマが医療の思考を俎上にした論となったことは、何か因縁めいたものがあって、我ながら不思議な感慨がある。

 

2009/03/15

 

「この3年が勝負どきだと考えている。そのため2年を治療に費やしたくない」

或る医師が書き留めた患者の言葉 ― カルテより

 

 無再発無転移を確かめられないまま、迎えた5年目の春である。ひたすら下がらないマーカー値のおかげで、病院通いは頻繁だったけれど、『余命1か月の花嫁』とか、松雪泰子主演美人女医の乳がん出産命懸け、で『余命』とか、神々しく流された日には、私は頭を垂れてしまう、「せっかく悪性度最悪なのに、生きてて申し訳ございません」。…生きている者のロマンチシズムは、さじ加減を誤ると脅迫である。

5年目になって、その人のことすら忘れていて、なのに、ふと気づいた問いがある。あのひとはなぜ、去っていったのだろう、と。この地に近くあるのを避けたかった、と言い、学閥も系脈もあると思えない遙かな地へ。むしろ、その遙かな地の域内で固められた世界に、落下傘のように落ちていったのではなかったか。僅かばかりその職種の転勤に関して、知識がないわけではないだけに、考えてみれば異様な移り行きだった。くりかえされた悔恨と自責の言葉は、果して、そのひと自身についてだけだったのだろうか。そのひとにまつわって、何か、事が起きたのではなかっただろうか。引責 ― あまり思いたくないけれども。

その後、私は3年以上を過ごした。まさに自ら予想したのと違うかたちで、今、人生の或る種の勝負どきを生きている。2年間、重い責務を笑顔で負いきり、鬼とも天使ともなって、組織を立て直すこと。そのきつさ、もたらす疲労、苦悩のゆえか、私は大きく強くなった。ふだんはすさまじくキツくパワフルだと言われるが、持ち合わせたやさしさはむしろ、深くなったと思う。人生、さまざま。その縦糸が、いつか横糸にめぐりあうときもあるだろうか。私はきっと穏やかに、そのひとから始まった研究のひとつのまとまり、一冊の本を、贈ることができるくらいにはなっている。私はあなたから始まった、ありがとう、と。なんのてらいもなくそうすることができたらいい ― とゆくりなくも夢をみる5年目の春。

 

2009/03/01

 

「医師は『病院でのみとりは、患者の側に医師と看護師がいて、家族はその後ろ。在宅なら「家族が主人公です』と語った」

「『あおぞら』と子どもたち 小児の在宅医療5」『医療新世紀』共同通信より

 

 実のところ、「誰それが主人公です」という表現が、個人的にはあまり好きではない。誰が「主人公」であり「脇役」なのか、場にあって、見るまなざしにあって、生きる人にあって、異なってくるものだ。主人公という言葉はしばしば「主体」と同義に使われているような気がするが、例えば「患者さまが主人公です!」というときと「患者が主体なのだ」というときで、ニュアンスに違いがあるのは何となくわかってもらえるのではないか。

 それはともかく、変わってゆくのはつねに最前線から、なのだろうか。この記事を読んでも思う。直面する現実の困難に立ち向かうかぎり、という意味で、そうなのかもしれない。経営改善と教学改革という至上命題の前に、厳しい矛盾が上げる軋みを引き受けていて、同じような音を聞いているだろう医療者を想う。自分の目前にある組織を、人間を見ていて、さまざま。音を聞く人聞かぬ人。グチブチ言う人言わぬ人。ついでに言うなら、軋みを聞けぬ人もあり、グチブチ言えぬ人もある。

 実際、21日の辞令を境に、ネットに関わっている時間が激減した。職場に2台あるパソコンは、朝スイッチを入れて学内ネットとスケジュールとメールとをチェックしたら、あとは夕方切るまでスタンバイ状態のまま放置せざるをえないか、ワードで書き続けているか、どちらかしかない。自宅のマイパソコンは、開けても自分のことまでで精一杯。16本までならめっけもんの会議と、そのための打ち合わせと無数の密談と、全学規模の書類の山と、新しい部署の部下の管理と、ついには法律事務所相手のバトルまで始まって、5年無再発務転移生存の明るい春を迎えるはずが、胸には放射線後遺症の穴、しかも検査は頸部胸部腹部CTを撮って採血までやったところで、残りすべてはキャンセルせざるをえなかった。外科部長がMRIにかかろうとしているところへ「部長!大動脈破裂で手がつけられません!お願いします!」って言われたら、検査台、乗ってるわけいきませんね。同じこと。正直、ポストとしては外科部長よりエラいですもん、本学体制では。だからなんなんだ、と言えばグチブチ言う暇も聞く暇もないということなのだ。

 そんな慌ただしさのなかで振り返ることも少なくなったが ― それでもふと思わないこともない。いったい、この5年は、がんという病に始まったこの日々には、いったい何の意味があったのだろうか、と。

 

 そうそう、忘れるところでした。順調な経過をたどっているので、湿潤療法体験記をアップします。エクスプローラがになったら、フォントの画面への映り具合が今までとかなり違っていて、びっくりしました。読みにくいなあと思うようなら、また手を入れようと思いますが。

 

2009/02/17

 

「必ず乾杯しよう乾杯しよう乾杯しよう(…)いつの日か夕焼けの帰り道 眩しげに 振り返るわが道に 人生に 乾杯を!」

コーヒーカラー『人生に乾杯を!』より

 

 このページの本来の趣旨から言えば、今日はゲノム解析による人間識別社会の不安を指摘する記事でも取り上げたいところなのだが。「論じる」気力もなくなるほど、瓦解した組織の再生というのは、まあ、何と申しますか…(苦笑)。自己利益の合理的選好を基本とする経済人のモデルは嘘である。もしそうなら、どうして結果的に膨大な不利益を蒙ることの明白な、さしあたりにすぎない利益を選択するのか、これは明々白々な非合理的行動であるから。経済的な利益モデルは、「人間は利益を追求する」という前提に立ってはじめて主張できるのだから、経済理論はその前提自体に疑義を差し挟むことはできない。しかし、そこを疑わないのは、理論に当てはめるために人間を修正する行為であって、人間に当てはめるために理論を修正するのではないのである。利益だけを目的として説明できない医療も教育も、だからその論理に欺かれてはならない。包括不可能な余剰が存在する限り、いかなる学も理論も人間に対して謙虚に膝を折らねばならぬ。と、日々現場の現実を噛み締めて家路をたどるとき、浮かべる言葉は「日暮れて道遠し」。あるいは「ひとり歩む日暮れの道は、闇路の遠さに続いている」。それでもいつの日か「振り返るわが道に 人生に」乾杯できる、か。

 今を切実に生きるすべてのひとに。『人生に乾杯を!』、いいですよ。ユーチューブで聞けますので、お勧めいたします。って、私は広告塔か(笑)。

 

2009/02/13

 

「脳死のひとに会いに病院に行って、私たちは『御見舞』ではなく『御香典』を差し出すのだろうか」

或る学生のレポートより

 

 了解をとっていないので本人の文章そのままではないが、僅かな手直ししか加えてはいない。一読、瞠目した。「教える」と称して講義をしながら、その実自分の問いをぶつけて、さまざまなものの見方、考え方を教わろうとしているのはこちらなのだ、と改めて思い知らされる瞬間である。

大学人の多くは「研究」こそアイデンティティであり第一義だ、と言う。文科省以下、大学人の三大業務を「教育、研究、行政」の順で強制しても、現実が「行政、教育、研究」の順であろうとも、我々の根幹は「研究、教育、行政」なのだ、と。

 私は、この順がつけられない。強いて言えば行政が最後。厳しい現実の前に、研究と教育を守るためにこそ行政に手を染めなければならない、という覚悟で最近は臨んでいるものの、ここでも何度か登場の我が右腕、課長 ― 私の役職が変わったので直属の部下ではなくなった ― が「ほんまは、先生方のお仕事は研究と教育。それに専念してもらえるよう、僕らが頑張らなあかんのやけど、本学ではね…」と残念そうによく言うのが本来の理屈だと思うから、後回しにするにあまり躊躇はない。けれども、研究と教育とのあいだには、私は順列がつけられないのである。ためらいなく「研究」と言ってのけられるひとは、自分のひたすらな研究の積み重ねを、学生たちに「与えることのできる」ものとして、位置づけられるひとなのだろうと思う。研究職としての視角が、自分で批判しておきながらいかに「科学共同体」 ― 私の場合には「人文科学共同体」かな ― に囚われてしまうものか、学生たちとの関わりのなかでときに頭が吹き飛ぶほどの思いをさせられる身には、教育はつねに研究に何かを「教え与えてくれる」ものであって、そのゆえに研究と教育は相互に不可欠・不可分の重みを持つものなのである。

 …実は今日、もうひとつあったのだ。レポートで。しかもそれは、今書きつづってきた「順列をつけられない大学人」としての私の生き方を、それでいいのだ、と裏づけ励ましてくれるような言葉だった。個研で私は一人、しばらく泣いた。感激のあまり、涙がふきこぼれてきてしまったのだった。…私の人生は、これだけでもまだ生きるに値するのかもしれない。

「学ぶとは、真実を胸に刻むこと。教えるとは、共に希望を語ること」(アラゴン)。

診る−診られるということにも、私はそういう局面が必ずあるはずだと信じている。

 

2009/02/11

 

「東京都内で開業する産婦人科医Bさん(35)は6年ほど前、勤めていた総合病院での出産事故が忘れられない。何より悔やまれるのは、患者側と話し合う機会が持てなかったことだ。(…)『私が取り上げた赤ちゃんが脳性マヒで生まれたのは事実で、申し訳ない気持ちでいっぱいです。謝らせてください』。その希望は、『君自身が言いたいことと、言っていいこととは別だ』と退けられた」

「お産事故を救う 裁判で本音語れぬ医師」医療ルネサンス 『読売新聞』211日付朝刊より

 

 医師の「感情論」である。これを「ほらね、お医者さんだって、こんな気持ちでいるのよ!感動だわ!」と書かない、書けないところがイヤラシさ。

●昨日は出産事故で訴訟を起こした患者側の話だった。『読売』の医療記事は実にうまい。低体重出産を扱えば、どんな妊婦にもマニュアル通りにダイエットを勧めてしまう最近の産科医を問題視して初回。妊娠してもカッコイイ!女を目指してしまうママたちの痩せ願望を描いて第2回、最後はお産を取り巻く社会全体の傾向に落とすわけ。絶妙に公平な(笑)気配りなのだ。そうなると、医療者批判を帯びた署名記事直近にモンスター患者対策を策定した大学病院の報道記事、という社会面の紙面構成も、「…狙ってる?」と深読みする楽しみもあろうものである。

●引用した冒頭記事には、医師として裁判から何も学べなかったという言葉がある。最近、ちょっと気になるのは、「裁判」すなわち司法批判によって、肝心なことから目をそらしてしまっていないかということだ(司法に問題がないと言うのではない、念のため)。裁判に持ち込む、持ち込まれる前に、できることはなかったのか、なぜできたかもしれないことができなかったのか、あるいはしたいことができなかったのか。そういう問いが、もっと問われてもいいのではないか。その点に関わって、次。

●いったん事が起きれば組織は必ず言う、「君自身が言いたいことと、言っていいこととは別だ」。自分が組織の管理者に回って厳しい判断を問われるこの頃、病院側が医師を退けた言葉を、私は一概に責める気になれない。ただ、この言葉を組織防衛のためだけに吐きたくはない。どんな言葉でもそうだが、文脈によって意味はまるで変わる。例えば以前取り上げた、遺族を前にして「勉強させてもらいました」。私が上司や先輩なら言うだろう、「君が言いたいことと、言っていいこととは別だ」。たんなる組織防衛をこえて守りたい、守るべき、守れるものは何なのか、その何かを守るために組織を防衛する、そういう組織人でありたい。

…口だけだって?い〜え、目下、守るに値する組織を構築するのに、私、失敗の許されない死に物狂いの持久戦を闘い続けてますから(笑)。そのためには組織内に向けてバズーカも撃ってますから(爆笑)。

 

2009/02/07

 

 出産時の事故(原因不明との説明一点張り)で脳性マヒになったお子さんを育てながら、「何が起こったのか、それだけをきちんと知りたい」と訴訟を起こしているお母さんの話とか、最年少市長として当選した33歳の医師の話とか、在宅医療を引き受ける診療所を開設している小児科医の話とか、またも15だか16だかの病院から搬送を断られて死んでしまった患者の話とか、それでも私が日々出会うのがとてもすてきな医師たちだとか、話題はいろいろあるはずだが…

 書いている暇がない。手つかずのまま山積みの採点簿。「先生、校正原稿届いてません!」とは出版社から。すみません、すみません、傷の再切開で腕が痛いわ、胸が痛いわ、なんです…とは言い訳にならないので平身低頭。しかし、全学3、教学では1の地位に就いてから僅か数日、殺人的な忙しさ。大半は会議と打ち合わせと個研密談。スケジュール帳は真っ黒だ。今週だけでふたつの会議体が新しく発足して、そのいずれの「長」も回ってくるとは陰謀以外の何ものでもない。…すでにいくつの「長」を背負っていると思うのだ?

 と言いつつも実は、「湿潤療法体験記」、順調に作成が進んでいる。目下、唯一の楽しみかも。完治に半年かかるので、公開がいつ頃からできるかは明言できないのだが…ご期待ください。

 

2009/01/31

 

「父親は同年8月、岡田、樋口両容疑者らに7000万円の損害賠償を求め提訴。岡田容疑者らは現金受領を認めたが、(…)工作資金に使ったことを強調し、詐欺行為を否認した」

「医大裏口入学詐欺 別の親も7000万円」『読売新聞』131日付夕刊より

 

 …7000万円かあ、と思った。この10倍程度の資金力しかない大学組織もあるというのに。つらい、きつい、と悲鳴の上がる職業に、これだけの現金を動かして息子や娘をつけたい医師もいるわけだ。実際、以前にも書いたけれど、苦学して国立の医学部を亡き我が伯父は、面接委員に指(1本で寄付金1000万円との噂)を折って見せて片っ端から子どもたちを医者にした。今、いとこたちが、開業医、勤務医、それぞれの場所で無事にリタイアの時期を迎えているのは、ありがたいことではある。考えてみればいとこたちのほとんどは、小児科、産科と今もっとも騒がれる診療科に属していたのだ。以上、この件に関してはその程度の感慨しか持てない。

 

 ハードな締め切りで原稿の校正や事項索引づくりに追われたり、勤め先でさらなる重責を背負ったり、4月から職階の昇任がいきなり決まったり、忙しさで頭がこちらに向かないだけなので、間が空いてもどうぞご心配なきよう。

 ただ、23日付でグチをこぼした傷については、さんざん調べ倒したあげく、夏井医師が提唱する方法を採っている医師を見つけて通い出している。壊死した皮膚を切り落とす手術を受けてきた今日、さすがに左腕が上がりません(笑)。新しい先生の診断と説明、自分で調べたことを併せると、現時点で私が出している結論は「放射線晩期障害」。被治療者の5パーセント程度にしか出ないし、穴が開こうと皮膚が腐って死滅しようと、治るあてもないまま数ヶ月の不安、不便を忍ばなくてはならなかろうと、ガン本体のように生死がかかるわけでもない。だから、乳がんの解説書でも、専門書でも、ネットでも、まったくと言っていいほど相手にされていないのは、やむをえないことだろう。国家の支援を受けて、がん撲滅に邁進する医療の輝かしい栄光の前に、数年を経て崩れだす皮膚のごときが何であろう?

 「湿潤療法」。私がこのたび選んだ創傷治療法である。しばらく経過を見て順調であれば、今回の穴に関して「患者から見た湿潤療法」のページをつくるつもりである。と、ちょっぴり予告編。治療がうまくいくよう、お祈りください(笑)。

 

2009/01/24

 

「要するに,力関係では圧倒的に医療者側が強く,患者は圧倒的弱者である。医者が嫌でも『こんなところに二度と来てやるもんか』と言えないのが患者である。だって,他に病院がないんだもの」

夏井睦ホームページ『新しい創傷治療』(太字は原文ママ)より

 

 「患者さま」という昨今の病院の呼称を論じた一文から引用した。趣旨は、呼び方が変わって内実が変わったのか?と。

 この点については、逆方向から同じことが言える。例えば、或る一般向け医療雑誌が「私たちは医師を『先生』とは言いません。医師と患者は対等だからです」と掲げる。私はこれに賛同しない。というよりも率直にまず偽善を感じる。確かに人間としては対等だ。しかしP.B.C.C.でも触れているが、そもそも専門家と素人とは、専門的知見にあって不均等なのが当然である。第二に、病気なり怪我なりを挟んで、診る/診られる、という医療現場の視点の設定上、患者は対象にはなっても主体にはならない。主体としての立場を獲得するには、「診る/診られる」とは異なる視角を持ち込む必要がある(その必要が現在の医療現場にはある、という前提で言っているのだが)。何をして「対等」というのか、どの視点にあって「対等」であるべきなのか、その在り方自体を問わないのに、医師を「○○さん」、患者を「患者さま」と呼んだところで実際何も変わらないだろうし、変えるべきことを間違ってはいないだろうか。

…というわけで今日は創傷治療の説明だけでなく、あちこち開けて楽しく読んだ。個研でお昼をとりながら笑い転げていたので、近くの同僚は何事かと思ったかもしれない。

リンクフリーなので、今日引用した記事には張らせていただこうと思う。どうぞ、行ってみてください。近藤誠や南淵明宏、平岩正樹などの本を読んだときにも感じたのだが、こういう医師たちはさまざま論を張るなかでも患者との現場でのやりとり、経験談を、喜怒哀楽を込めて具体的に書く。人間に向き合うことが本旨の仕事をしていて、共感を覚えるところだ。

何よりつい心惹かれてしまうのは、今自分が向き合う現場を、自分の手の届くところから変えていこうとする姿勢である。コストの問題となれば医事課ともモメるだろう。診察・治療の方法では、上司がいて同僚がいて反対される立場なら、そこでもモメるだろう。はじめての実践に臨んで、従来のやり方に慣れた患者が怖がれば、納得に至るまで苦労するだろう。目前の問題を乗り越えようとするところから、すべてを始める。だから実は、私は「医療崩壊」のオピニオンリーダーの一人が張る論陣にきわめて批判的だけれども、彼が自分のいる境遇で事態を変えようとしてきた実践を語るくだりには素直な敬意を抱いている。文科省と実体のつかめない社会ニーズなるものの圧力下で、大学の財務省たる総務部、総理官邸たる学長以下大幹部たち、伝統墨守の教務部その他と、日々に対話とバトルをくり返しながら現場最前線で学生たちと向き合い続ける構造は、まったく同質だからだ。変える変わるというのは決して、どこかで誰かが立案してくれて、上から降ってくるだけのものではない。その意味で彼らは勇気をくれるのである。

 

2009/01/23

 

2008/10/28                                                    2009/01/23

            

 

 

              

 

 

 

 

 今日は大変に見苦しいものをお見せした。お恕し願いたい。意図はさまざま。ご訪問くださっているかもしれない乳がん患者の方に情報提供。「有効な治療とはなにか」漠然と考えてしまう心境。「責める誰かを探したい」苛立ち。ただし、苛立つ自分が情けないという自責があることは、わかる方にはわかっていただければと思う。

 写真は、現在抱えている皮膚潰瘍である。この傷の真下に、私の乳がん腫瘍はあった。摘出後4年半を経たこの夏、異常な痛痒感が2ヶ月ほど続いた後、乳房全体が真っ赤になった。その腫れの中央にぷつりと小さな黄色い点が浮いたとき、その位置が腫瘍の跡だと気づく。当初、摘出後の洞を満たしているのは水だと聞いており、術後数年を経て「これが水?」と思っていたほど、見た目にも硬化して盛り上がっていたが、溜まっていたのは魚のワタのような老廃物 ― と現在の主治医から説明を受けている ― だった。それが炎症の原因であり、黄色い点となって内側から肌を破って出たのである。「ワタ」は抜かれた。以後、2週間おきに外科と皮膚科にかかってきて、現状はご覧の通りである。

 日付を入れておいた。左は、「ワタ」を抜いて約2週間後、右は昨日の撮影である。間に「治療」を何ヶ月挟んでいるかは、どうぞ、ご計算いただきたい。右写真の、穴を取り巻く茶色の斑点は、中国医学の灸の痕。この灸のおかげで、これでも外郭は縮小してきたのである。ちなみに施術後1週間ほどで剥落し消えてしまうこの灸の痕は、放射線で焼け野原の我が肌にも、6570度の熱による火傷程度の自己治癒力が残存している証明でもある。

 夕べ、手当てしていて猛烈に嫌気がさした。悲しくもなった。衆目にさらしながら恐縮だが、自分自身でも直視したくない。実のところ、本物は写真よりもグロテスクなのだ。もっと簡単に治るものと思っていた ― 治りにくいのは放射線治療後の肌だからだ、と。だから取り立てて調べてみようとも、説明を求めようともしなかった。傷ができた、どこかが痛い、となるたびに本をひっくり返し、ネット検索をかけて自分で調べ知識武装しなければならないのなら、専門家に診てもらう理由がどこにある?

 …ここに至って「調べ」行き当たったのが、形成外科医夏井睦のサイトである。主張はさておき私がすっかり感心してしまったのは、皮膚潰瘍の解説ページだった。一読、即解。いとも容易に私は、数ヶ月間できなかった現状把握をなしえたのである。何を問うてみるべきか、考慮してみるべきかも、すっきりと整理できた。…みごとなものだ。図と、短くムダのない説明文。わかりやすい喩え。おそらく口頭で話しても大して時間はかからない。…そう、探しさえすれば、憂さを晴らしてくれるのもまた医療者なのだ。…わかる人は、わかる。できる人は、できる。

 

2009/01/22

 

「私たちは誰かを責めようとは思いません。ただ、『なぜ体内のどこにあるか検査できない機械を人間に埋めたのですか』、『胃に穴が開いたことは二度と起こらない異例の事態なのですか』とだけ問いたい。裕子の死が無駄にならないよう、よい機械に改善してくださることを信じたい」

「遺族が怒りの告発 東京女子医大『補助人工心臓が娘の胃を突き破った』週刊文春129日号

 

 補助人工心臓エバハート自体にも、治験を実施する体勢にも、どうも問題があるのではないか…。今回はルールに不適格な体表面積の患者に治験を実施したようなのである。エバハートは横隔膜を突き破る欠陥があるのではないかという指摘は医療者内にもあるという。引用文の「裕子さん」は横隔膜を突き破られただけでなく胃に穴が開き、激痛を耐えて開放創のまま脳出血を発症して亡くなったという。痛みを訴えてもリハビリをしないせいだと却下し、湿布薬やロキソニン(鎮痛剤)で対処していたという証言が事実なら…横隔膜と胃壁が無機質の機械で突き破られていると知りえないまま耐えていた痛みは、いったいどれほどのものだったろうか。

 文春は過激な見出しをつけているが、遺族の一人の言葉は上の通りである。そして私は、医療崩壊主張の聖地となった某病院の裁判の公判記録も、その他患者の声、遺族の声を読んできたが、基本的に彼らが(あるいは「患者」としての私が)言いたいのは、この言葉と同じものだと考えている。むろん、ときに過激な表現にはなるかもしれない。失われた命や臓器や身体の部分を思って、責める誰かを見つけたい気持ちにならないとは言わない。だが、もし偶然にせよ必然にせよ失わなければならなかったものであるのなら、「なぜ失われたか」、「どのように失われたか」、「あるいは失われない可能性はなかったか」を知りたい、というのは、ただの感情論でもなければ非合理でもなく、わからないことがあったときに人間が当然抱く合理的な問いなのではないだろうか。

 しばしば投げ返される「いくら説明してもわかってもらえない」とか「素人に何を言えというのだ」というのは、何をどう言おうともプロとして傲慢なのだ。例えば、何かの専門家に対し ― 「え?どういう意味ですか?」と興味があるから問うてくり返される説明をやっぱり理解できなくて、納得できない顔をしたとたん、「これだけ私が説明してもわからないの?」と言い返されたらどう感じるかを想像すればいい。わからない説明しかできない専門家が無能だと思うなら、あなたは患者側に立てる。わからない自分に落ち込めると素直に認め、専門家が気の毒だと思うとき、あなたは医療者側にいるだろう。

 「感情論」とくくるなら、問う側、問われる側、どちらにも「理」はない。わからない説明をくり返される苛立ち ― 説明しても理解されないと思う歯がゆさ ― どちらもその瞬間、合理的学問なるもの ― もし真に「合理」と言えるのならば、だが ― よりはるか以前の「感情」に突き動かされているのだ。逆に、応えようとする態度が合理なら、わからないことを問おうとする姿勢もまた合理となろう。そのそれぞれの情と理との側面を相応に捉えたところから、対立を超える情理が二つながらに見えてくるにちがいない。その視野を獲得する力を、カントは「想像力」と呼んでいる。

 

2009/01/19

 

「新型だったら学級閉鎖ですむはずがない。どの新聞も、こんなに繰り返し記事を載せてきたのに…」

「コンパス 伝わらない新型の脅威」『読売新聞』119日付夕刊より

 

 新型インフルエンザについての理解が広がらないことへの苛立ちを表明している署名記事である。「新型」を「致死性」に言い換えたらもう少し関心を持ってもらえるのかも、とも。気持ちはわからないではない。勤め先でも学長の鶴の一声で対策委員会が設置されたが、誰一人本気で責任をもって計画を策定していない。この欄で何度か登場済みの我が課長は、全学幹部の会議のたび、猛然と却下しては怒っている。「事が起こってから考えればいい、っての見え透いてますよ。こんなもんしか作れへんで集まってるのなんか、時間のムダや!」。…角度を変えれば、私たちは危機に慣らされすぎているのだ。金融危機だの学校崩壊だの医療崩壊だの、と。そうして医療に限っても、休日の新聞を見よ、広告から記事まで、製薬会社・医療機器メーカーから大学・研究機関、一般病院まで、全身におよぶテーマがわらわらと紙面を埋めて、どうやって「新型」インフルエンザがそれほど特別な危機だと認識したらいいのだろう?

 閑話休題。今日は外科診と皮膚科診。外科の主治医M先生、実は今日、決して変わらない穏やかなジェントルマン ― いや、態度はいつも通りだったのだが ― というイメージを覆す冗談をおっしゃって、私は笑ってしまうと同時に内心瞠目したのである。医療者にもどうやら近頃は覗かれるらしいこのサイトで、書くわけにいかないくらい過激な形容表現であった(笑)。

「それは先生、ウチでもおんなじですよ〜」

と応えた私に、やっぱり笑いながら

「いや、似てるだろうな、だからわかるっていうか、通じるかな、って思って」

 私は日頃、自分の職場やそこでの職分をまったく話していないけれども、「似ている」という言葉で、ここでもずうっと書き綴っている大学と病院の相似形理解は間違っていないのだ、と思えた。それで喩えるなら、私の知るかぎりM先生は臨床・研究・行政の三つとも負われている。足元の危ない高齢の患者をデスクから立って見送ったり、不安の嘆きをじっと聞いていたり、あるいは小うるさい ― 私のような ― 患者の質問にもわかりやすく応じたりする臨床医であり、膨大な症例をまとめた論文で専門の賞をとる研究者の顔をお持ちであり、管理職の任にも就いておられる。

 私はこういう医師に会ってきた ― だから、嘆息してしまう。いずれめぐりめぐって結局、こういう医師の首をさらに絞めるのは何、あるいは誰だろうと問いたくなる。というのも、声を上げさせるだけ上げさせて、漁夫の利をとる遠大な計画があるのではないか? ― そんな気配がすでに漂っているのを感じるからだ。エイズ問題でもリンパ浮腫保険適用でも、患者の訴えが届くのに何年かかったろうか?対して、医療崩壊のオピニオンリーダーがお役所に招かれるまでの期間は?上げる声の強さがどちらにあるかを思えば ― 教育を締めるのは文科省である。医療を締めるのは ― その向こうに財源を握る ― 締め手はいくらでも「みなさんの声を解決するためです」と語るだろう。もちろん、そんな医療は患者にとっても決して「いい医療」ではないことは、忘れてはならないと思う。

 

2009/01/18

 

「私は数年前からこの街に通っているが、ここ数ヵ月で街の雰囲気は変わってしまった。最近、友人から『治安が悪くなってきているよ。あなたも夜一人で出歩かないでね』と注意された。先日は知人が勤める酒屋が強盗にあった。犯人はブラジル人だったという」

「ブラジル人『知られざる派遣村』『週刊文春』122日号より

 

 派遣や安価な非正規労働を切られたブラジル人労働者が集まる、群馬県大泉町の取材である。むろん、この記事を書くルポライターも、これはブラジル人の問題ではなく、弱いところへしわ寄せを食わせてきた経済システムの問題だ、としている。寄付食料で食いつなぐ人々や強盗の背後に、私たちは弱者を切り捨てて自走し続けるしくみにこそ目を向けたい。だが、しばしば私たちは、利益をたらふく腹に詰めたまま、陰に紛れて身をかわしてしまう真の標的を見失う。そうしてこう言い始める、仕事がないなら自分の国へ帰ればいい。稼げるからと調子よく日本に来たのが甘ったれている。そして日本にしがみついて、稼げないとなったら強盗までやる連中だ。警察は何をしているのだ。法務省は。出入国管理は。マスコミは「真実」を報道せよ。 ― その実、さらに背後の背後に、他国へ出かけてまで稼ぎたいほどの貧困を本国が抱え、その本国の貧しさは、植民地政策の残滓を引きずって成り立つ、国際社会・経済システムの気が遠くなる複雑さで生み出された不均等があるのだ。そこまで行くともう、霞の向こうに大きすぎる世界を見渡せなくなる。すると、私たちは苛立ってやり始める、目に見え、かたちになるものへの排撃を。帰ろうにも飛行機代すら持ちえない人々なのに。すべてのひとが強盗なのではないのに。もし出稼ぎが甘い夢だというのなら、振り込め詐欺に甘い夢を貪らせている私たちの社会は何なのだ?

 なぜ、医療のページで外国人労働者問題なのか?同じ構図を現今の不毛な論争に見出せてしまうからだ。患者が悪い、厚労省が悪い、裁判所も検察も敵だ、政府は何をしているのか…自らの組織内に正すべき(糺すべき)ことはないのか、と訊けば、看護師がバカだ、技術職は所詮技術職にすぎない、「標準治療」をやっていて何が悪い…悪いのはすべて外である。理由も言い訳もすべて外に押しつけられる。こうなると、私はしばしば病院を「内」、病院外の患者を含む一般の人々を「外」というが、医師にとって「内」は医師のみで形成される医師集団であり、「外」はそれ以外なのだとわかる。

 そう言うおまえら ― 私は「おまえら」呼ばわりされる集団に含まれもする ― 患者はどうなのだ、という。モンスターで、半端なインテリぶって、あるいは無知で、すぐ訴訟を起こして大騒ぎ。飛びついて騒ぎを煽り立てるマスコミなんぞ極悪非道だ。まとめてしまえばこれだけにすぎない「感情論」を、「論理」だといい「科学的見識」に立って言うのだと、もっともらしく述べられた日には、もう言わせておけ、とは思うけれども。

 

2009/01/17

 

「たとえば、Xさんが科学的方法を使い、Yさんが非科学的方法を使うとします。ここで、なぜ科学的な方法が非科学的な方法よりも『優れている』といえるのか、考えたことがありますか?(…)科学は、すべてなんらかの意味で帰納法を用いて自然法則を発見し、驚異的な成功を収めてきたことも事実です。しかし、だからといって帰納法を用いて帰納法を正当化することはできません」

高橋昌一郎『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』より

 

 今日は、木曜日の読売新聞に出ていた島根大学医学部の地元枠のことを書こうと思っていたが…県内出身で県内に戻って地域医療、僻地医療に従事する条件の入学枠である。この学生たちに推奨される長期休暇の病院研修は、何もその条件に限らず全国の医学部に課されていいものではないのか云々…と。しかしそれ以上の意見ではないのでやめておく。

 午後、乳がん手術痕に起きた皮膚潰瘍にまた灸をすえてもらう。S先生によれば ― 自分でもそう判断していたから行ったのだが ― 暮れの施術が効果を発揮している、あと数回で潰瘍の傷自体は治癒するのでしばらく通うようにとのこと。再度、念のために書いておくが、創傷に威力のある灸は、一般的に知られた温熱灸とは違いますし、施術者の正しい知識と技量が物を言いますのでご注意ください。

 私が効果を確信したのは以下の理由だった。

@西洋医学のもとで3ヶ月、ほとんど快癒の進捗が見られなかった2センチ大の潰瘍の穴を、一つ1ミリ弱の灸の痕がぐるりと囲んだ。灸は、穴のふちにぴったり沿ってすえられたのである。1週間ほどしてよく見ると、灸の痕と穴のふちの距離は、数ミリ開いていた。どういうことか?灸をすえた時点より、穴が収縮したとしか考えられない。つまり、ふさがり始めたのである。

A灸は65度〜70度なので、通常は痕が残らない。ただ、我が左乳房は産毛も生えない、汗もかかない、かぶれやすく荒れやすく、自己治癒能力の低下した放射能被爆の焼け野原だから、あるいは、とも思っていた。しかし、入浴のたびごとに小さなかさぶたが落ちると…あら不思議。本当に灸の痕は一切残っておらず、きれいな肌があるのみであった。

S先生のお話では、灸が傷に活力のあるリンパ球を集中させる効果については、某旧帝大が実験で立証しているそうであるが、興味深い、というか面白かったのは、最初にこの灸を試してもらった直後の皮膚科診、外科診で、あからさまに穴を取り囲んで明々白々な火傷痕が ― 皮膚科ではおなじみの金具でぴたぴた傷を叩かれ、外科では「だいぶ治ってきたね」と言われて ― みごとなまでに完全にスルーされたことだった。「村井さん、これ、どうしたの?!」と絶対に訊かれるものと予想して、あれこれ用意してもいた、その言い訳を並べなくてよかったのは正直に気が楽だったが。

はい、西洋医学の関係者の方なら大方「だったら、そっち行けよ。がんでも盲腸でも灸だの鍼だので治してもらえよ」とおっしゃる…と思ったので、そういう問題ではないと言っておこう。そして冒頭の言葉。或るシステムは自らの正しさをそのシステムの内部で証明できない、ということは、科学の粋たる物理学や数学や論理学が「論理」をもって証明している。S先生はもちろん、がんでも盲腸でも何でも鍼灸で治るなどとは言わないし、むしろ非西洋医学の領域と効力と役割がどこまでかをよくご存知だ。 ― そう、目下国家政策ともなって種々の広告を賑わす或る病のキャンペーンのように ― 「治ります!」、「やってください!」、「受けましょう!」などとあたかも万能のように言い出したら、それこそ疑ってかかったほうがいい、どんな領域であれ。

 

2009/01/16

 

「医師も同じ。『私は悪くない。制度が悪い。被害者だ』 ― だからうまくいかない。『私たちは自らこれを変える。だから行政はこうしてくれ』というのが、本来のプロ集団でありネットワークであろう。

昨日、経営がうまくいっていない病院で、勤務医との間に次のようなやり取りがあった。『なぜ、君らの病院はうまくいかないんだ。時代にも適応していないし、必要な診療科のスクラップ・アンド・ビルドもできていないのは、なぜか?』、『院長が悪い』、『わかった。お前たちは悪くないというんだな。じゃあ院長をいかに辞めさせたらいいか、クーデターの起こし方を私が教えてやろう』、『結構ですよ』。これが典型的な例だろう。自分たちに当事者意識がまったくない」

信友浩一 緊急提言第8回「医師は被害者意識を捨てよ!」日本医療政策機構HPより

 

大学でも事態はご同様だけれど…。冒頭の発言を含む提言が、例によってネットで医師たちの袋叩きに合っているそうである。発言者は九州大学大学院医学研究院医療システム学分野教授で、経済や政策畑かと思ったら、医学部を出ている人だった。ついでに言えば、医師たちの「ネット公論」の危うさを「暴走する医師たち」と指摘している或る本も、すさまじい批難を ― 「批判」とは敢えて書かない、「批判」critics, Kritikという語の本来の意味からおっぱずれているのは見え透いているので ― 浴びているらしい。

提言全文を読んでみたが、「医療者も一般の人々も、皆が当事者意識を持って、目前に向き合っている現場を改革していかなくてはならない」という納得のいく議論である。確かに医療者に厳しくはあるが、病気や怪我が治れば現場を離れる患者と異なり、職業人として現場に向かい続ける側へ改革の当事者要求が強くなるのは当然だろう。教育において「責任」は教員に「権利」は学生に、大きくなるのと同じである。…というよりも、ここで述べられているのは基本的に、社会に参与し社会で機能する組織および職業であれば学校、会社、法人、役所、メディア、と場を問わず、なされる当然の要求であり、満たそうと努力しなければならない当然の目標である。それを指摘されて大騒ぎできるだけ、今に至るまで幸福な夢を貪ってきたのではないのか。大変だ、大変だ、と言う、では例えば、病人や怪我人を目前に断られ、必死の思いで搬送先を探し続ける救急隊員の立場は?それが仕事じゃないか、と言えるなら、同じ言葉が叩き返されるはずだ。それは不毛だ、それぞれの立場で最大限、プロとしての力を発揮できるようにするにはどうしたらいいのか ― その理念、計画、方法をこそ考え出し実行すべきだ。信友が言うのもそういうことだろう。

ところで、医師たちの ― ブログやサイトも含めて ― ネット公論で言いたいだけ言われたり、個人的に返信を求められる批難を受けたりした経験者として言えば、恐縮ながら、そしてきわめて残念ながら、ほとんど「議論」に値しない。仕掛けられて真面目に考えを開陳したにもかかわらず、それこそネットに出ている医療記事のコピー、カット&ペーストばかり返されたこともある。なるほど、結局、コピー、カット&ペーストでしか構成されていない頭なのだなと思わざるをえなかった。だから私は、武見太郎の言葉を借りて言う、ネット公論とは「欲張り村の村民たち」の広場なのだ、と。ただし、武見が「欲張り村の村長」たちが1/3だと言ったように、私は「村民たち」も1/3なのだと信じている。自ら考え動こうとする人たちは、そのためにこそコンピュータのなかへ、広場に立ち寄ろうなどと思いつく暇すらなく出かけていくにちがいない。

 

2009/01/13

 

「すべての関係者が合意に達するという目標をもってともに対話することは、あらゆる見解と情報を考慮に入れること、患者本人についてときに固定化した見方や判断を克服すること、自己利害を排除し、しかも医療のルーティン化も排除することの最大限の保証となる」

ドイツ連邦議会審議会中間答申『人間らしい死と自己決定 ― 終末期における事前指示 ― 』より

 

出講先の女子大後期最終授業日。今期は貧血と本務校業務で3回も休講を出し、土曜日に補講を突っ込むていたらく、出講するようになって以来、最低だったと深く反省するとともに、テスト用紙に余裕があれば書いてもらう感想にも厳しい批判を覚悟していた。…「やっぱり哲学は難しい。でもふだん考えないような視点を多種多様に学んで、すごく面白かったです!」、「ほんとに、ほんとに、毎時間楽しみで後期も取って、一年間、ありがとうございました!」、「気がつかないで過ごしているけど、いろんな問題が日常に隠れてるんだなあ、と思いました」、「電車の中なんかでふと考えてしまうことが増えました」、「めちゃくちゃハマってしまい、真剣に哲学の大学院進学を考えています」…「先生、くれぐれも体は大事にしてくださいね」。

くらむばかりの熱情が心身の奥底からたぎり立つ。「哲学」など何の役にも立たない極道なのだ。入ったが最後、世の中はこんなにもこんがらがって、容易にくたばることなど許さない謎と化す。その極道を好き放題に講じて「面白い」とはよくも言ってくれる、やっていてよかった、そしてもっと勉強したい!  

むろん、一日何時間でも研究していたいが、それだけでは食べていけないからこの職を選んだというひともいるのはわかっている。だが、私たちは読書(あるいは実験)と執筆だけで報酬を取る身分ではない。支払われるのは、研究職のみならず教育職と行政職を包括した職業としての「大学教員」への対価である。取るからにはやるべきであり、やるからこそ取るのである。当然「お仕事」なのに、文句だけで行政はおろか盾に取るはずの研究まで…。わからない、理解できないです、と口にすると、大先輩のひとりがすき焼き鍋の湯気の向こうでさらりと微笑した。

「だから村井さん、そういうひとはその程度、ってことなんだよ。でしょう?

 関西私学の有名校で要職を歴任し、文句なしの研究業績を挙げ続け、断れない非常勤数校をこなしているひとである。私の先輩で大学に残っているのは皆、そういうひとたちばかりなのだった。その背を仰ぎ、それで当たり前なのだと思ってきたからこそ「わかりません、理解できません」になったのだったが。年明けて早々の言葉を反芻しつつ、心静かに ― そのときだけは ― 本を開くこの頃。

今日の冒頭は目下読んでいる一冊から。倫理的考察から始め法的趨勢の分析を経て、定義を重ね少数意見まで網羅して提言へ、医療現場における「死に方」のひとつを問う議会審議会が存在する国もある。少なくともこの答申で、自己決定の権利は一貫して専門家の職業責任と不可分である。ニュルンベルクがいかに彼の国にとって重石となっているか、改めて考えさせられている。「倫理は何も決められない」などと嘯く此岸の海の浅瀬にはいったい、いかな議論を通して何が残ってゆくのだろうか。

 

2009/01/11

 

「お医者さんが説明していること、100%理解できますか?」

「医者は事実、プライドの高い人が多いだけに、診断に疑問を挟まれたり、人からこう聞いた、などと患者に言われると身構える人が少なくない。でも、根拠となる<紙>を見せられると医者は反論しにくく、冷静に伝わります。コミュニケーションべたな人はこういう手段も手です」

「今どき気になるキーワード Topic 今月のキーワード 寛解」『Precious2月号』より

 

最初の一文は記事の見出し、後の言葉は記事文中で笠陽一郎という「医師」が述べていることなので、念のため。疑問を持たれたり伝聞を尋ねられたりしても、きちんと知識や経験で応じられる自信があれば、どんな職業であれ身構えたりしないものだ。もうひとつ、持ち合わせた知識や経験が標準的な専門の要求を満たしていると思えれば、「わからない、知らない」(だから調べてみる)とも素直に言える。以前お願いしていた美容師さんも話してくれたことがある。「最近は、お客さまの読まれる雑誌なんかのほうが、新しい技術やスタイルの情報がはやいんです。だから、できるかぎり勉強会や講習会に出て勉強します」。ひとりで店をやっていかなくてはいけないプライド。尋ねられて身構えるプライド。「プライド」とはいったい、何なのだろうか。

 …というコメントは実は蛇足。諦めの苦い笑いまじりに引っかかる言葉は、「100%理解できますか?」。37の誕生日を迎えて一ヵ月後、病は見つかった。そして5年目の誕生日が今日である。5年経った、と夕べ闇のなかで思い返した。どう振り返っても、ろくでもない5年間だった。生き方、考え方、感じ方の根底に、どうしても揺らがないしこりが残ってしまった。まるでがん細胞のようだと思うことがある。正直に、自分自身の「語りえなさ」を含めて、人の思いの掃き溜めになった、そんな気がする。罹患前からあった友情や恩情の幸せは続いているのだけれども、ときにその受け止め方を変質させかねないくらい、罹患後に始まった人との関わりは…。そのほとんどは残さなかったか、職場のようにやむなく続くものだけである。そうして、半ば確信に近いだけに虚しい問いは残った。どんな関係でも100%の理解などありえないが、そもそも「理解」などありうるのか。一様に、自分の思いのたけを「理解してほしい」とばかりに訴える。だがそういう声は、逆に「理解しよう」とはしていない。しばしば返事すら聞こうとしない。言いたい、話したい、放出したい。どう聞かれるか、どう受け取られるか、どう理解されるか、は意に介していないのだ。

 ただ、自分はその合わせ鏡なのである。「『聞く』でしょう。だから『聞いてもらえる』っていう甘えを呼ぶんです。どうして『聞く』んですか」、そう言われたことがある。…たぶん、本当は自分が聞かせたいから。そして、聞かせるというのは重いことだから。重さを放つなら、こちらも担うだけの思いがないとフェアではないと思うから。フェアではないと思うのは、しかし結局、見返りでつり合わせようとする保身なのかもしれない。だいたい、聞かせたいことがそれなりにそのひとの「重さ」なのだというのも、思い込みかもしれない。放出して済むなら、その程度なのだろう。…という風に、「その程度」という言葉がいつのまにか刷り込まれてしまっているのが、やりきれないかなしさだ。

 病気のせいでそうなった、というのは今も考え方として好まない。偶然にもこの5年にそういう変化があったというだけなのだろうが、どこかで「あれ以来」と思ってしまうのも確かで、その意味ではそろそろ解放されたいし、解放したい。がんをやった、だから、何なのだ?と。

 

 

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