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病を生きる生の戦略を、患者を首班として構想するシビリアンコントロールモデルが、患医関係の理想だと考える私にとって、望みうる最高の将官たちへ。信じているからおまかせできる、おまかせできるのは信じられるから。医療とは「学」ではなく「信頼」なのだという信念は、この出会いにおいてこそ揺らぐことがありません。

 

今は病院にいらっしゃらない先生、変わらずお世話になっている先生、治った結果お伺いしていない先生、おひとりおひとりに心から。自分の意志では病を捨て去ることのできない身に、先生方は「問い尋ね、応えが返る」、かけがえのない最後の砦であり続けてくださっています。だから、何をどう書き、語るとしても、個性あるひとりの医療者としての先生方の前では、私もまたひとりの誠実な患者でいたい、と心から思います。

 

とりわけ最初の1年間お世話になった外科外来看護師のみなさまに。そして、今も通院している外科はじめ、さまざまな診療科で出会ってきた外来看護師のみなさま、入院当時の外科病棟看護師のみなさまに。ご配慮のこまやかさは言うまでもなく、すっきりと清潔で、どなたもてきぱき動かれて、安心してかかっていられます。「看護師のだらしない病院は、医師がひどい病院より信用できない」という我が母が、みなさまにお会いするや、「ここはいい病院ね」と。

1年に一度のめぐりあい、でも毎回お世話になるマンモグラフィ担当技師の方に。私は、女性だから女医や女性技師にかかりたい、とのよくある願望は、実はすさまじい誤謬だというジェンダー論の持ち主です。この方は、女性がマンモ担当になることの良き意義を体現しておられる数少ない方だという意味で、特筆したかった。

 

覚えていないことも多い日々。罹患してのち、私はそれまでの航海図や羅針盤を失っただけでなく、私自身を失ったまま、回復できていない思いで生きつづけています。でも、「回復」する必要があるのだろうか?「取り戻す」べきなのだろうか?混乱と破綻を刻んで変形した「私」の新しさを生きてもいいのではないだろうか?そんな風に感じる場所が開けつつあるこのときまで、変わらないやさしさと温かさと、ときに厳しさで接し続けてきてくれた、くれている友人たちに。

 

「よくがんばったね」。苦難のすべてをそう言って受容してくれたのは、ひろこちゃんでした。

 

どんよりとした暗さを根底にしたまま揺れる私を、そのまま受け入れてくれたのは、いくちゃん、せいこちゃんでした。

 

サイトを読んで、「あなたを誇りに思う」と身に余る言葉を贈って、いたわってくれたのは、えりさんでした。

 

「気にしなくとも、あなたは出会った頃と変わらない」と、自分をつかめずにいる私に言ってくれたのは、信彦さんでした。

 

そして、隆・仁美さんのT夫妻、おかあさまの罹患経験を重ねて励ましてくださった同じ専門の先輩Kさん、会えば「体はどう?」と声をかけてくださる先輩Wさん。ご夫妻でいつも両親のように気にかけてくださる恩師K先生、仕事にいつも配慮してくださり、うつのさなかにも絶えずお心遣いくださった恩師Y先生。私の病を知るごくわずかな教え子たち、サイト作りのアドヴァイザーであったこんちゃん、一時は互いに同じ境遇に苦しみつつ、読んではメールをくれたエミコさん。がんであることもうつの最後期を過ごしていたことも知らないまま、未だ病院通いの「部長」を支え続けてくれ、今も最大の協力者・支援者であり続けてくれる我が入学広報部の部下のみなさま。

みなさまのおかげで、私は5年目の今日を生きています。

 

2008.9.18

2008.12.12修正

with ・・・

from Fuyu MURAI

 

 

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